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古墳時代(1) [まとめプリント]

今日から古墳時代です。



弥生時代後期につくられた墳丘墓よりも、もっともっと大きな塚、すなわち古墳が築かれる時代ですね。
それだけ大きなお墓を作る力をもつ者が存在したということです。

ではその有力者とは誰か、というと、頂点は大王(おおきみ)です。
大和地方に成立した、大王を中心とする政権をヤマト政権(ヤマト王権・大和朝廷)といいます。

古墳1.jpg

このころの朝鮮半島は、北部に楽浪郡をも飲み込んだ高句麗(こうくり)が存在し、
南部は馬韓(ばかん)・辰韓(しんかん)・弁韓(べんかん)という小国家がたくさん集まった3つの地域に分かれていました。

4世紀になると、鮮半島南部で国家が成立し始めます。

馬韓50余ヶ国を統一したのが百済(くだら・ひゃくさい)、辰韓12ヶ国を統一したのが新羅(しらぎ・しんら)です。
(バカはクダラん!で覚えるんでしたね★)
弁韓地域は小国家郡のままで、4世紀後半には加耶(伽耶・加羅)諸国と呼ばれるようになっていたようです。
この加耶諸国のどこかにヤマト政権が「日本府」というものを設置した、と言われていますが、真実かどうかは分かりません。
『日本書紀』では加耶諸国を任那(みまな)と表記しています。
朝鮮半島の地図もしっかり確認しておいてください、北が高句麗、西が百済、東が新羅、南が加耶諸国です。
日本と仲の良かった百済との関係、そして好太王碑の碑文については、391年のゴロ合わせを見て下さいね。

さて、このころ近畿地方を中心に築かれた古墳の様子を見ていきましょう。

古墳は3世紀中頃から7世紀にかけて築かれましたが、
3世紀中頃から4世紀後半にかけてを古墳時代前期と呼びます。
前期のなかでもとくに3世紀後半までを出現期と呼んだりもします。

前期の古墳は円墳(えんぷん、丸い古墳)や方墳(ほうふん、四角い古墳)のほか、大規模な前方後円墳もみられます。
なかには前方後方墳という、真ん中がくびれていて、両サイドが四角い古墳もあります。

前方後円墳、すなわち前が方形で後ろが円形、ということですね。
この名称、実は江戸時代につけられました。
19世紀の初め、蒲生君平(がもうくんぺい)という国学者が『山陵志』(さんりょうし)という本の中で名付けたのです。
意外と新しい名称なのです。
なので、古墳時代の人がどっちを前に、どっちを後ろに考えて作ったのか分かりません。
このころの日本には文字がないので、記録も設計図も残っていないのです。
ご遺体は円形の部分に埋葬されるので、丸い方が大事なんじゃない?とも思いますが、
現在は前方後円墳と呼ぶ以上、前が四角で後ろが丸、ということです。

さきほど、ご遺体は円形の部分に埋葬する、と話しました。
次に古墳の内部構造を見ていきましょう。

円形の高い部分の土をタテに掘り、そして壁の土が崩れてこないよう周りを石などで覆います。
その空間に遺体を入れた棺を安置します。
竪穴式石室です。
もうタテの漢字は大丈夫ですね?
ほかには、棺の周りを分厚く粘土でかためた粘土槨(ねんどかく)というのも見られます。

古墳の表面は、葺石(ふきいし)という白っぽい石で覆いました。
当時、古墳を遠くから眺めると、太陽の光を浴びてキラキラ光っていたんだとか。
私は大仙陵古墳のすぐ近くで育ったのですが、遠くから眺めると木が生い茂ってさながら巨大ブロッコリーのようでした。
長い年月をかけて植物が根付いて生い茂った結果です。
資料集なんかで見ても大半の古墳が緑色をしていますが、間違えないように!
なお、葺石の「葺く」とは、瓦などで屋根をおおう、という意味です。

ほかに古墳の表面には埴輪(はにわ)が並べられました。
埴輪は土でつくるので土偏ですよ!
前期古墳の表面には、円筒埴輪や形象埴輪が置かれたようです。
円筒埴輪はそのまんま、丸い筒状の埴輪で、古墳の領域をあらわす柵のように使われた、などと言われています。
形象埴輪とは、何かの形を象(かたど)った埴輪ということですね。
前期の古墳からは、家の形をした家形埴輪や、道具の形をした器財埴輪などが出土しています。
器財埴輪には、矢を入れる容器である靫(ゆき)、防御用の盾(たて)、えらい人にさしかける傘である蓋(きぬがさ)などが見られます。

遺体とともに埋葬された副葬品(ふくそうひん)は、銅鏡や玉類などです。
これらを必要とする呪術的・宗教的な役割を担った、卑弥呼のような司祭者が埋葬されたと考えられます。

前期古墳(出現期古墳)の代表例は、奈良県桜井市の箸墓古墳。
卑弥呼の墓かも知れない…という説がある大きな前方後円墳です。

古墳1解答.jpg

それでは、今日はここまで☆



次回は古墳時代中期を見ていきます。

画像出典
http://www.craftmap.box-i.net/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0024017
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0010466
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0042736
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0056721
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コメント 3

受験生

イラストが可愛くて勉強も捗っています。ありがとうございます。No.12のプリントの回答がNo.1になっているので、No.12の回答を見たいです。よろしくお願いします。
by 受験生 (2017-07-17 08:49) 

春之助

受験生様
嬉しいコメント、ありがとうございます!
たいへん失礼いたしました、No.12の解答を修正しておきました。
受験勉強はツラいこととは思いますが、頑張ってくださいね!
更新が遅くて申し訳ありませんが、復習に役立てて頂けたら幸いです☆
これからもよろしくお願いいたします。
by 春之助 (2017-07-17 10:27) 

大鳥圭介

疑問
高句麗好太王碑文の高さを「日本史辞典」(角川書店)で調べると、高さは6.34m、幅は1.59mとあります。
教科書では、約6.4mとなっています。6.34mは(むさし)と覚えやすかったのですが、幅や建てた人物名や年号もありませんでした。414年は、覚えなくて「よいよ」とゴロで覚えたのですが。
by 大鳥圭介 (2021-07-01 11:13) 

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