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古墳時代(2) [まとめプリント]

古墳時代の2回目、中期古墳を見ていきましょう。



古墳2.jpg

前期古墳では近畿地方に集中していた大きな古墳が、他の地域でも見られるようになります。
他の地域の豪族達も力をつけていき、ヤマト政権において重要な位置を占めたことをあらわします。
そして、近畿地方の前方後円墳はというと、どんどん巨大化していきます。
まわりを何重もの濠でかこんだり、周囲に陪冢(ばいちょう)と呼ばれるプチ古墳がつくられたり様々です。

内部構造は、前期古墳と同じ竪穴式石室です。
九州北部では4世紀末頃に横穴式石室が出現しますが、これについては次回詳述します。

表面の装飾も前期と同じく円筒埴輪・形象埴輪ですが、より上手に埴輪を作るようになります。
人間の形をしたものや、キュートな動物の形をしたものまで本当に色々あります。
改めて、埴輪と土偶の混同には気をつけて下さいね!
埴輪は古墳時代、土偶は縄文時代ですからね!!

副葬品に甲冑や武器・馬具が見られることから、武人的性格をもつ者が埋葬されたと考えられます。
馬具が副葬品に入っているのは、好太王碑の碑文のところで書きましたが、
高句麗との戦いで騎馬技術のすごさを思い知った倭の人たちが、必死になってその技術を手にした結果でしょう。

中期古墳の代表例は、古墳の代表例といってもいいぐらい有名なものです。

まずは、大阪府堺市にある大仙陵(だいせんりょう)古墳。
地元の人たちは親しみをもって「仁徳さん」と呼びますが、仁徳天皇が埋葬されたかどうか定かではありませんので、
大仙陵古墳と表記する方が多いです。
大きさは80ha。
と言われてもピンときませんよね。
甲子園球場約12個分の広さです。
これでピンときます?

とりあえずめちゃくちゃでかい、世界最大のお墓です。
私は大仙陵古墳の近くで育ったので、この周りをジョギングとかしてましたが、そりゃ~広いです。
陪冢の数も、現在確認されているだけで15個です。
そのうちの1つなんて、最近まで釣り堀として地元の人に親しまれていましたけどね(笑)

次に大きいのが、大阪府羽曳野市にある誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳です。
応神(おうじん)天皇のお墓という説もありますが、これも定かではありません。
3位は、履中(りちゅう)天皇のお墓という説のある堺市のミサンザイ古墳です。
このように、大阪府に巨大な前方後円墳が集中しています。

大仙陵古墳を中心とする堺市の古墳群を百舌鳥(もず)古墳群、
誉田御廟山古墳を中心とする羽曳野市の古墳群を古市(ふるいち)古墳群といいます。
奇しくも今日、これらの古墳群は、2017年の世界文化遺産登録を目指す国内候補からはずれてしまいました…
堺市では百舌鳥古墳群を「サカイ遺産」なんて呼んでますからね…いやいや、もっと頑張って欲しいです。

ところで、古墳の大きさ第4位はというと、岡山県の造山(つくりやま)古墳です。
大阪府だけでなく、吉備(いまの岡山県)にも有力者がいた証しですね。

さて、応神天皇・仁徳天皇・履中天皇の名前が登場しました。
彼らはもしかしたら「倭の五王」のメンバーかもしれません。
「倭の五王」について、詳しくは478年のゴロ合わせに書きましたので、そちらをご覧下さい。

古墳2解答.jpg

それでは、今日はここまで☆



次回は後期古墳を取りあげます。

画像出典
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0048291
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0001339
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0005769
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0016893
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3
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