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古墳時代(5) [まとめプリント]

古墳時代のラストに氏姓制度を見ていきましょう。
内容は527年のゴロ合わせと重複するので、そちらも参考にしてください。



古墳5.jpg

氏姓制度とは、ヤマト政権がつくった支配制度です。
とにかくややこしい、漢字もややこしい、読み方もややこしい、内容もややこしい。
日本史を旧石器時代から学んでいくと、最初につまずくのがここだと思います。
ゆっくりゆっくり順を追って理解してください。

まずは、大王の一族を見ていきましょう。

ヤマト政権の首長である大王、そして彼の一族であるいわゆる皇族が大王家を構成します。
大王はたくさんの直轄地をもっています、それを屯倉(みやけ)といいます。
どこが「み」で、どこが「や」で、どこが「け」やねん!と突っ込んでください。
読めません、ほんとに。
もとは「御宅(みやけ)」と表記したようです、これなら読めないことはない。
でも、みなさんが覚えるのは「屯倉」の字です。

この屯倉、はじめは大王のいる近畿地方を中心に広がっていました。
しかし、ヤマト政権が支配地域を拡大するにともない、屯倉もどんどん各地に拡大していきました。
反乱を起こした者の土地をヤマト政権が接収し、屯倉とする場合もありました。
たとえば磐井の乱ののち、九州北部にもこれが設置されました。

大王は、屯倉を耕作する農民として渡来人や地方豪族の私有民を集団で移住させました。
彼らを田部(たべ)といいます。
屯倉は各地にあるので、大王の目は直接届きません。
そこで、地方豪族の国造(くにのみやつこ)にこれらを管理させたのです。

では、名代・子代の部(なしろ・こしろのべ)とはなにか、というと、
大王や皇族にそれぞれ仕えて貢ぎ物を献上したりする大王家の直轄民です。
それぞれ、大王・后・王子らの宮名を名乗るようで、
たとえば春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)に仕えた者を春日部(かすかべ)と呼びました。

田部は屯倉を耕する農民、名代・子代の部は献上品などを持ってくる直轄民、と覚えてください。

続いて、豪族です。

豪族達は血縁を中心に「氏(うじ)」という集団に組織されました。
自分と同じ苗字を名乗る親戚が1つの氏としてまとめられた、と考えてください。
その氏の首長を氏上(うじのかみ)といい、氏上以外の構成員を氏人(うじひと)と言います。
そして、氏の私有地を田荘(たどころ)、それを耕す私有民を部曲(かきべ)と言います。
田荘と部曲、どっちがどっちか分からなくならないように!
ゆくゆく私有地は荘園と呼ばれるようになることは知ってますね?
荘園の荘の漢字が入っている方が土地だと見分けてください。
なお、豪族のおうちには奴隷がいたようです、彼らをヤツコ(家っ子)とか、奴婢(ぬひ)と呼びます。

ここまで大丈夫ですか?

次に「姓(かばね)」を見ていきます。

大王が、ヤマト政権内での家柄や地位をあらわす称号として授けたものです。
現代ではそんな称号は存在しないので、これが理解しにくい。

まず、中央の氏に与えられる姓を2種類覚えましょう。
遠い遠い昔に大王家と血のつながりがあったとされる有力な氏には「臣(おみ)」が、
大王家とは血のつながりはないけど有力な氏には「連(むらじ)」が与えられます。

また、地方の有力な氏には「君」(きみ)や「直」(あたえ)、
渡来系の子孫にあたる氏には「首」(おびと)・「史」(ふひと)・「村主」(すぐり)などが与えられました。

さぁさぁ、ここまで大丈夫ですか?
ややこしくなってきましたね。

もひとつややこしいのが、これからお話しするところです。
姓とは別にもらえる、地位というか役職というかそんなものです。

「臣」という姓をもらう氏のなかで、とくに有力な者は「大臣(おおおみ)」に任命され、
「連」という姓をもらう氏のなかで、とくに有力な者は「大連(おおむらじ)」に任命されました。
「大臣」と「大連」は大王とともに政治を司る有力者でした。
この「大臣」はゆくゆく左大臣(さだいじん)・右大臣(うだいじん)となり、
現在も国務大臣(こくむだいじん)という名称で政治の世界で使用されていますね。

「君」などの姓をもらう地方の有力豪族は、「国造(くにのみやつこ)」に任命されました。
彼らはヤマト政権からその地域の支配権を認められる一方、
先にも述べたようにその地域にある屯倉や田部、名代・子代の部の管理を担いました。

また、「連」や「直」、そして「首」・「史」・「村主」などの姓をもらう氏は、「伴造(とものみやつこ)」に任命されました。
これは、職人集団である伴(とも)や品部(しなべ)を率いるリーダーです。

氏姓制度、理解できましたか?
本当にややこしいので、以下のように色分けをしながら頭を整理していってください。

古墳5解答.jpg

なにぶん古代のことなので、諸説ある部分です。
今後の研究に期待しましょう。

それでは、今日はここまで☆
これで教科書の第1章が終わりました。



次回から再びゴロ合わせを取りあげます。
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