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飛鳥時代(2) [まとめプリント]

飛鳥時代の2枚目、推古天皇の時代、すなわち推古朝を見ていきましょう。



飛鳥2.jpg

崇峻天皇の死を受けて、敏達(びだつ)天皇の后(きさき)である推古天皇が即位します。
左下の系図をよく見ると…この夫婦、どちらも欽明天皇の子どもなんですよね…お母さんが違うだけ。
推古天皇のお母さんは蘇我稲目の娘、すなわち蘇我馬子のお姉さんです。
なので、推古天皇と蘇我馬子は姪っ子とおじさんの関係です。
蘇我馬子は大臣として、そしておじさんとして推古天皇を補佐します。

もう一人、推古天皇の補佐にあたったのが厩戸王(聖徳太子)です。
厩戸王(聖徳太子)は、推古天皇のお兄さんである用明天皇の息子ですから、
推古天皇と厩戸王(聖徳太子)はおばさんと甥っ子の関係です。
厩戸王(聖徳太子)は摂政として推古天皇を補佐しました。
このことは、593年のゴロ合わせを参考にしてください。

さて、推古朝で覚えることは4つです。
1、冠位十二階
2、憲法十七条
3、歴史書の編纂
4、遣隋使の派遣

まず1つめの冠位十二階です。
これまでの氏姓制度による世襲をとっぱらい、
家柄に関係なく才能ある人材を官僚に採用するために制定されました。
役人には12種類の位を与え、どの位に所属する人なのかパッと見て分かるよう色別の冠を授けました。
位は、「徳・仁・礼・信・義・智」をそれぞれ大小に分けて12階としました。
これはもう「トクジンレイシンギチトクジンレイシンギチ…」と呪文のように覚えてください…
冠の色は、「紫・青・赤・黄・白・黒」をそれぞれ濃淡であらわしたようです。
白に濃いも淡いもなかろうと突っ込みたくなりますけどね。

2つめの憲法十七条は、604年のゴロ合わせを参考にしてください。

3つめの歴史書の編纂。
厩戸王(聖徳太子)と蘇我馬子はこのころ、『天皇記』・『国記』という2つの歴史書をつくったようです。
乙巳の変で焼失したようで、内容は伝わっていません。

4つめの遣隋使の派遣、こちらも607年630年のゴロ合わせを参考にしてください。
なお、『日本書紀』における遣隋使派遣の記事には、「大礼小野臣妹子」と書かれていますね。
さて問題。
このときの小野妹子の冠位は上から何番目か分かりますか?
正解は、上から大徳・小徳・大仁・小仁・大礼…ですから5番目ですね。
ではもう1つ問題。
小野妹子はこののち冠位十二階の1番上の位を授かります、それは何という位ですか?
正解は、大徳です。

推古朝に関しては、ゴロ合わせでずいぶん説明しましたので、最後に解答を載せて終わります。

飛鳥2解答.jpg



次回は推古朝のころの文化を見ていきます。
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