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712年 『古事記』を編纂する [年号のゴロ合わせ]

これまでに成立した歴史書を覚えていますか?

「帝紀」・「旧辞」、そして『天皇記』・『国記』ですね。

「帝紀」は天皇の皇位継承を中心とする古代の伝承・歴史などを、
「旧辞」は古代の神話・伝承などをそれぞれまとめたものと言われています。
欽明天皇のころに成立したと考えられますが、残念ながら現存していません。

『天皇記』・『国記』は聖徳太子(厩戸王)と蘇我馬子が編纂した歴史書ですが、
乙巳の変で大部分が焼失してしまい、こちらも現存していません。
詳しくは645年のゴロ合わせを読んでください。



さて、今日はこれに続いて成立した歴史書を見ていきます。

『古事記』です。

この歴史書の編纂事業は、天武天皇の時代に始まりました。
天武天皇はまず「帝紀」・「旧辞」の内容を整理しようと、「記憶の天才」を呼びました。
稗田阿礼(ひえだのあれ)という28歳の青年です(女性説もアリ)。

彼は非常に聡明で、一度耳にしたものはたちまち覚えてしまって決して忘れない、という
受験生にとっては喉からいっぱい手が出るような才能の持ち主でした。
くうぅ…羨ましすぎるぜ稗田阿礼…

彼が生まれたとされる場所は、現在の奈良県大和郡山市(やまとこおりやまし)なのですが、
ここでは稗田阿礼の記憶力にあやかって、毎年「記憶力大会」が催されているようです。
小学生が頑張って覚えた駅名やら円周率やら百人一首やらを披露する様子を例年ニュースで目にします。

さて、その稗田阿礼は天武天皇に命じられ、「帝紀」・「旧辞」を何度も何度も声に出して読んで記憶しました。
教科書なんかでは、『古事記』の序文にある言葉を引用して、これを「誦習(しょうしゅう)」と表現しています。

ん?
何度も何度も声に出して覚えた??
一度耳にしたら記憶すんじゃないの???

という突っ込みはやめておきましょう。

稗田阿礼が「旧辞」・「帝紀」を誦習して頭の中を整理し、さぁいよいよ新しい歴史書を作ろうではないか!
という矢先…
天武天皇が死んでしまいました。

712.jpg

結果、稗田阿礼は頭に歴史をいっぱい詰め込んだまんま放置されます。
それから30年ほど経ったころ、ついに太安万侶(おおのやすまろ、安麻呂とも表記します)と出会います。
彼は、稗田阿礼が誦習したものを書き記して、歴史書を編纂するよう元明天皇から命じられた人物でした。

そして712年、二人の努力がようやく結実し、『古事記』という形で元明天皇に献上されました。
いやぁ~…稗田阿礼にとって、完成まで本当に長い道のりだったわけですね…

それでは、今日のゴロ合わせ☆

712年.jpg

「記憶の天才」は絶対こんな人じゃなかったと思います…稗田阿礼さんすいません…



次回も古代に成立した書物をとりあげます。
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