740年 藤原広嗣の乱がおこる [年号のゴロ合わせ]
前回は、藤原不比等→長屋王→藤原四子という権力の流れを取り上げました。
藤原四子には、光明子(こうみょうし)という名の妹がいます。
聖武天皇の皇后となったので、光明皇后(こうみょうこうごう)とも呼ばれます。
皇后とは本来、皇族から選ばれます。
光明子は藤原不比等と県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)という女性との間に生まれたので、
皇族ではありません。
すなわち、光明皇后とは人臣(じんしん)で初めて皇后になった人物なのです。
皇后になったのは長屋王の変の直後ですので、きっとお兄ちゃんたちの大きな力が働いたのでしょう…
さて、そのお兄ちゃんたちがバタバタバタバタと亡くなったあとに権力を手にしたのは、
光明皇后の異父兄(いふけい)、つまりお母さんは同じだけどお父さんは違うお兄ちゃん、である
橘諸兄(たちばなのもろえ)という人物です。
この橘諸兄とセットで覚えなければならないのが、玄昉(げんぼう)と吉備真備(きびのまきび)です。
彼らは遣唐使として唐で学んだ経験を買われ、橘諸兄政権のブレーンとして活躍します。
ところで、唐における吉備真備の様子を描いた絵巻物があるのを知っていますか?
「吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)」と呼ばれる傑作なのですが、
現在はアメリカのボストン美術館が所蔵しているので、なかなかお目にかかれません。
私は、この絵巻物が2012~2013年に日本へ里帰りしたときに初めて美術館で拝見したのですが、
唐で次々と難題をふっかけられる吉備真備が、鬼の協力を得てそれらを巧みに乗り越えてゆく様子が痛快で、
たいへん感動しました。
図録『ボストン美術館 日本美術の至宝』に載っている金井裕子さんの解説を参考に、
その様子を紹介しましょう。
* * *
遣唐使として唐にわたった吉備真備は、唐の皇帝の使者たちに迎えられます。
しかし、彼が案内されたのは、鬼が出没するため生きて出られる者はいない…という
イワク付きの楼閣(ろうかく)です。
おいおい、なんてところに案内してくれるんだよ!
しょっぱなから大ピンチです。
真夜中。
雨風が強くなったころ。
恐ろしい鬼が吉備真備の前に姿を現します!!
ヤバイ!!
食べられる!!!
ところが、この鬼、吉備真備と話がしたいと言うのです。
そこで吉備真備は、「訪ねてくるなら鬼の姿を変えよ!」と伝えます。
すかさず人っぽい格好に改める鬼。
素直だなオイ!!
というのもこの鬼、実は唐で亡くなった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)だというのです。
よりにもよってなぜ鬼のビジュアルなんだよ…
その阿倍仲麻呂、吉備真備と話をするなかで、日本に残る自分の子孫の様子を知って喜びます。
そして、吉備真備に協力することを伝えてどこかへ消えてゆきます…
翌日。
皇帝の使者は「あの日本人、鬼に食われたんだろうな~」と、様子を見に楼閣にやってきます。
ところがまさかの吉備真備健在!
鬼に食べられていないわけですよ!!
そこで、使者たちは吉備真備に次なる難題をふっかけることにしました。
難読書である『文選(もんぜん)』の試験を課すというのです。
もう徹底的にいじめたろうという魂胆です。
さぁ吉備真備は困ります。
『文選』なんて、聞いたことも見たこともないのです。
すると、姿を現した鬼とともに吉備真備は超能力で空を飛び(!)、
楼閣を抜け出して宮殿へ行って、試験問題を2人で盗み聞きしてしまいます。
やがて、皇帝の使者が『文選』の試験を実施しようと楼閣にやってきます。
ところが吉備真備は『文選』の一部を書き散らかしていて、
「こんなもの、日本ではみーんな知っておる」と一言。
吉備真備は、この様子を見て呆然とする使者から『文選』30巻をまんまとゲットしてしまいます。
これでおしまいではありません、皇帝サイドは次なる難題を考えます。
それは、碁の名人との対決でした。
このころ囲碁は日本に伝わっていないので、吉備真備はこれまた聞いたことも見たこともないのです。
すると、再び鬼が姿を現し、楼閣の格子天井を碁盤に見立てて一生懸命碁を教えてくれます。
そしていよいよ初心者吉備真備と、名人との囲碁対決。
劣勢の吉備真備は、まさかの碁石を1つ飲み込む、という荒技で辛勝します。
この結果に納得できない名人サイド。
そこで、碁石を数えてみると1つ足りません!
お前、食べたやろ!
吉備真備は下剤を飲まされ、ウンコさんを調べられます。
しかし!超能力によって碁石は吉備真備の体内にとどまったため(!!)、
碁石を飲み込んだことがバレずに済みます。
このあとも難題を次々とくぐりぬけ、ついに吉備真備は日本に『文選』と囲碁を持ち帰ったのです。
なんだろう…吉備真備すごい…
てゆーか、まさか阿倍仲麻呂は死んだあと鬼になって超能力を使えるようになっていたとは…
* * *
というわけで、そんな吉備真備と玄昉が橘諸兄の右腕として機能します。
するとつまらないのが前の権力者である藤原四子の子どもたちです。
藤原宇合の子である藤原広嗣(ひろつぐ)は、そのころ大宰府に左遷(させん)されていました。
当然、自分もお父さんたちみたいに権力を握るつもりでいたのにです。
そこで、玄昉と吉備真備の排斥を訴えて九州で挙兵します。
これに戦慄したのが聖武天皇です。
まさかあの藤原広嗣が挙兵するなんて!!!と。
聖武天皇は恐怖のあまり平城京を飛び出し、そこから数年にわたってジプシー生活を送ることになります。
平城京→恭仁京(くにきょう)→難波宮(なにわのみや)→紫香楽宮(しがらきのみや)→平城京と、
移動しまくりです。
みなさんからすれば、都をコロコロ変えられちゃ覚えることが増えて腹が立ちますよね。
しかも結局平城京に帰ってくるんかい!!と。
これだけ移動しまくるということは、いかに聖武天皇がびびっていたかをあらわしています。
とにかく知ってる人に反乱起こされてめっちゃ怖かったんですよ、許してあげてください(笑)
それでは、今日のゴロ合わせ☆
梨に深い意味はありません、ただゴロが合ったからです…すんません…
それでは、恐怖にかられた聖武天皇はどうなるのか…
次回は国分寺建立の詔からその様子をみていきます。
藤原四子には、光明子(こうみょうし)という名の妹がいます。
聖武天皇の皇后となったので、光明皇后(こうみょうこうごう)とも呼ばれます。
皇后とは本来、皇族から選ばれます。
光明子は藤原不比等と県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)という女性との間に生まれたので、
皇族ではありません。
すなわち、光明皇后とは人臣(じんしん)で初めて皇后になった人物なのです。
皇后になったのは長屋王の変の直後ですので、きっとお兄ちゃんたちの大きな力が働いたのでしょう…
さて、そのお兄ちゃんたちがバタバタバタバタと亡くなったあとに権力を手にしたのは、
光明皇后の異父兄(いふけい)、つまりお母さんは同じだけどお父さんは違うお兄ちゃん、である
橘諸兄(たちばなのもろえ)という人物です。
この橘諸兄とセットで覚えなければならないのが、玄昉(げんぼう)と吉備真備(きびのまきび)です。
彼らは遣唐使として唐で学んだ経験を買われ、橘諸兄政権のブレーンとして活躍します。
ところで、唐における吉備真備の様子を描いた絵巻物があるのを知っていますか?
「吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)」と呼ばれる傑作なのですが、
現在はアメリカのボストン美術館が所蔵しているので、なかなかお目にかかれません。
私は、この絵巻物が2012~2013年に日本へ里帰りしたときに初めて美術館で拝見したのですが、
唐で次々と難題をふっかけられる吉備真備が、鬼の協力を得てそれらを巧みに乗り越えてゆく様子が痛快で、
たいへん感動しました。
図録『ボストン美術館 日本美術の至宝』に載っている金井裕子さんの解説を参考に、
その様子を紹介しましょう。
* * *
遣唐使として唐にわたった吉備真備は、唐の皇帝の使者たちに迎えられます。
しかし、彼が案内されたのは、鬼が出没するため生きて出られる者はいない…という
イワク付きの楼閣(ろうかく)です。
おいおい、なんてところに案内してくれるんだよ!
しょっぱなから大ピンチです。
真夜中。
雨風が強くなったころ。
恐ろしい鬼が吉備真備の前に姿を現します!!
ヤバイ!!
食べられる!!!
ところが、この鬼、吉備真備と話がしたいと言うのです。
そこで吉備真備は、「訪ねてくるなら鬼の姿を変えよ!」と伝えます。
すかさず人っぽい格好に改める鬼。
素直だなオイ!!
というのもこの鬼、実は唐で亡くなった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)だというのです。
よりにもよってなぜ鬼のビジュアルなんだよ…
その阿倍仲麻呂、吉備真備と話をするなかで、日本に残る自分の子孫の様子を知って喜びます。
そして、吉備真備に協力することを伝えてどこかへ消えてゆきます…
翌日。
皇帝の使者は「あの日本人、鬼に食われたんだろうな~」と、様子を見に楼閣にやってきます。
ところがまさかの吉備真備健在!
鬼に食べられていないわけですよ!!
そこで、使者たちは吉備真備に次なる難題をふっかけることにしました。
難読書である『文選(もんぜん)』の試験を課すというのです。
もう徹底的にいじめたろうという魂胆です。
さぁ吉備真備は困ります。
『文選』なんて、聞いたことも見たこともないのです。
すると、姿を現した鬼とともに吉備真備は超能力で空を飛び(!)、
楼閣を抜け出して宮殿へ行って、試験問題を2人で盗み聞きしてしまいます。
やがて、皇帝の使者が『文選』の試験を実施しようと楼閣にやってきます。
ところが吉備真備は『文選』の一部を書き散らかしていて、
「こんなもの、日本ではみーんな知っておる」と一言。
吉備真備は、この様子を見て呆然とする使者から『文選』30巻をまんまとゲットしてしまいます。
これでおしまいではありません、皇帝サイドは次なる難題を考えます。
それは、碁の名人との対決でした。
このころ囲碁は日本に伝わっていないので、吉備真備はこれまた聞いたことも見たこともないのです。
すると、再び鬼が姿を現し、楼閣の格子天井を碁盤に見立てて一生懸命碁を教えてくれます。
そしていよいよ初心者吉備真備と、名人との囲碁対決。
劣勢の吉備真備は、まさかの碁石を1つ飲み込む、という荒技で辛勝します。
この結果に納得できない名人サイド。
そこで、碁石を数えてみると1つ足りません!
お前、食べたやろ!
吉備真備は下剤を飲まされ、ウンコさんを調べられます。
しかし!超能力によって碁石は吉備真備の体内にとどまったため(!!)、
碁石を飲み込んだことがバレずに済みます。
このあとも難題を次々とくぐりぬけ、ついに吉備真備は日本に『文選』と囲碁を持ち帰ったのです。
なんだろう…吉備真備すごい…
てゆーか、まさか阿倍仲麻呂は死んだあと鬼になって超能力を使えるようになっていたとは…
* * *
というわけで、そんな吉備真備と玄昉が橘諸兄の右腕として機能します。
するとつまらないのが前の権力者である藤原四子の子どもたちです。
藤原宇合の子である藤原広嗣(ひろつぐ)は、そのころ大宰府に左遷(させん)されていました。
当然、自分もお父さんたちみたいに権力を握るつもりでいたのにです。
そこで、玄昉と吉備真備の排斥を訴えて九州で挙兵します。
これに戦慄したのが聖武天皇です。
まさかあの藤原広嗣が挙兵するなんて!!!と。
聖武天皇は恐怖のあまり平城京を飛び出し、そこから数年にわたってジプシー生活を送ることになります。
平城京→恭仁京(くにきょう)→難波宮(なにわのみや)→紫香楽宮(しがらきのみや)→平城京と、
移動しまくりです。
みなさんからすれば、都をコロコロ変えられちゃ覚えることが増えて腹が立ちますよね。
しかも結局平城京に帰ってくるんかい!!と。
これだけ移動しまくるということは、いかに聖武天皇がびびっていたかをあらわしています。
とにかく知ってる人に反乱起こされてめっちゃ怖かったんですよ、許してあげてください(笑)
それでは、今日のゴロ合わせ☆
梨に深い意味はありません、ただゴロが合ったからです…すんません…
それでは、恐怖にかられた聖武天皇はどうなるのか…
次回は国分寺建立の詔からその様子をみていきます。
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