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752年 大仏開眼供養をおこなう [年号のゴロ合わせ]

前回は、様々な社会的不安から仏教にすがる聖武天皇が、国分寺建立の詔を出したことを取りあげました。
その2年後、聖武天皇はさらに大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発令します。



国分寺は建物なので「建立(こんりゅう)」の字を、大仏は仏像なので「造立(ぞうりゅう)」の字を用います。

ではまず、史料を見てみましょう。

(天平十五年(〔1   〕年のこと))冬十月辛巳、詔して曰く。「(中略)粤(ここ)に天平十五年歳次癸未十月十五日を以(もっ)て、菩薩(ぼさつ)の大願(仏教を興隆し、衆生(しゅじょう)を救おうという願いのこと)を発(おこ)して、盧舎那仏(るしゃなぶつ、華厳経(けごんきょう)の本尊のこと)の金銅像一軀(いっく)を造り奉(たてまつ)る。(中略)夫(そ)れ天下の富を有(たも)つ者は朕(ちん、〔2   〕のこと)なり。天下の勢を有つ者も朕なり。此(こ)の富勢を以てこの尊像を造る。事や成り易き、心や至り難(がた)き。(中略)」と。(出典『続日本紀』)

空欄に入る語句は分かりましたか?

1…743
2…聖武天皇(日本において、朕は天皇が用いる一人称)

詔の内容は、
「743年10月15日をもって、仏教を興隆し、衆生を救おうという願いをおこし、大仏をつくる。
天下の富をもつのは私であり、天下の勢いをもつのも私である。
この富と勢いとをもってすれば、大仏をつくるという事は成りやすいが、
仏教を興隆し、衆生を救おうという願いの趣旨に叶うことは難しい。」
です。

いやぁ~…天下の富と勢いをもつのは私だ!ですって。
言うてみたいもんですな。

さて、ここで問題を2つ。

・問1 大仏造立の詔と同じ年に発令された土地に関する法令は何か。
・問2 大仏造立の詔はどこで出されたか。

分かりますか?

・答1 墾田永年私財法
 この法令は、「天平十五年の格」とも呼ばれるんでしたね。
 詳しくは743年のゴロ合わせをご覧下さい。
・答2 紫香楽宮(しがらきのみや)
 藤原広嗣の乱のあと、聖武天皇は引っ越しをしまくります。
 このころ都は恭仁京にありますが、離宮(りきゅう)として滋賀に紫香楽宮もつくっています。
 で、その離宮にいるときに大仏造立の詔を発令しちゃったわけです。

つまり、大仏は滋賀でつくりはじめられるのです。

ところが…

聖武天皇はこのあと難波宮に遷都し、すぐさま紫香楽宮に遷都したと思ったら…結局、平城京に戻ります…

な…なんやねん…

ということで、滋賀で始まった大仏の造立事業は中止され、747年に奈良で再開されることになります。

752.jpg

そして、奈良の大仏の開眼供養(かいげんくよう)がおこなわれたのは752年。
開眼供養とは、仏像に目を描きこんで魂を入れる法要のことです。
これに用いられた筆や墨は、現在も正倉院宝物として伝わっているそうですよ。

このときの天皇は、聖武天皇と光明皇后との間に生まれた女性、孝謙(こうけん)天皇です。
聖武天皇は譲位したので、聖武太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)となっています。
また、皇后は「天皇の奥さん」を意味しますので、
光明皇后は、太上天皇の奥さんとして光明皇太后(こうたいごう)となっています。

孝謙天皇・聖武太上天皇・光明皇太后ほかおよそ1万人が参列するなか、開眼供養はおこなわれます。
大仏の目を描いたのは、インド人のお坊さんである菩提僊那(ぼだいせんな)です。
彼のもつ筆には長い長いヒモが結わえられていて、参列者たちはこれに触れることで大仏と縁を結ばんとしました。
また、さまざまな音楽やダンスも披露されるなど、とてもとても盛りあがったようです。

実はまだ大仏は完成していなかったみたいなんですけどね…
仕上げの作業は、開眼供養のあとでおこなわれました。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

752年.jpg

ところで、奈良の大仏を実際に見たことはありますか?
最近、大仏の螺髪(らほつ、パンチパーマみたいなくるくる1個1個のこと)が古い記録では966個とあるのに、
実際数えてみると492個しかなかった、ということがニュースになりましたね。

私は小学6年生のときの遠足で初めて実物を拝見しましたが、とにかく大きくてビックリしたことを覚えています。
高さは14.73mもあるんだそうです。
そりゃ頭にくるくるがいくつあるかなんて地上からはまったく見えませんね。

ちなみに、聖武天皇がつくった大仏は高さが16.1mもあったそうで、現在の大仏より大きかったようです。
8世紀によくぞそんな大きな仏像をつくれたものですね…
さすが「天下の富と勢いをもつ」って自分で言っちゃう聖武天皇です。

しかしその後、大仏は戦乱のなかで焼失してしまいます。

しかも2回………

現在の大仏は17世紀末につくられたものです。
なぜ大仏は2度も焼失してしまったのか…
これはまた、おいおいお話ししていこうと思います。



次回は、鑑真の来日を取りあげます。
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