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842年 承和の変が起こる [年号のゴロ合わせ]

今日から、藤原北家による他氏排斥(たしはいせき)の様子を、ゴロ合わせとともに見ていきます。
最初は、承和の変(じょうわのへん)です。



823年、嵯峨天皇は弟の大伴親王(おおともしんのう)に譲位し、
嵯峨天皇は嵯峨上皇、大伴親王は淳和天皇(じゅんなてんのう)となります。

10年後、淳和天皇は退位し、かわって嵯峨上皇の息子が仁明天皇(にんみょうてんのう)となります。
このとき、淳和上皇の息子である恒貞親王(つねさだしんのう)が皇太子となります。

天皇の位というのは、たいてい親から子に譲られるものですが、
ここでは兄→弟→甥っ子→イトコと、ジグザグに皇位が継承されようとしています。
ややこしいので、ちょっと系図で確認しておきましょう。

842-1.jpg

系図の左の方を見てください。
天皇の位は、①嵯峨天皇→②淳和天皇→③仁明天皇と受けつがれ、
次は皇太子である恒貞親王が即位する予定です。

ところがその恒貞親王、なんだか浮かない様子ですね…
どうやら、仁明天皇の息子である道康親王(みちやすしんのう)の存在が気になるようです。

仁明天皇は、いとこの自分ではなく、やっぱり息子の道康親王に天皇の位を譲りたいんじゃないかな…
と、恒貞親王は悩みます。
しかも、道康親王のお母さん側の親戚から、彼を即位させたいという欲望がむんむんに感じられるのです。

道康親王のお母さんは、藤原順子(ふじわらのじゅんし、または、ふじわらののぶこ)です。
薬子の変によって藤原北家の力を確固たるものとした、あの藤原冬嗣の娘です。

奈良時代(4)でも触れましたが、このころの結婚形態は妻問婚(つまどいこん)です。
出産&育児は、たいていお母さんの実家でおこなわれます。

ということは…
道康親王はどこで生まれ、どこで育てられたか分かりますね?

答えは、お母さんの実家である藤原冬嗣の家です。
道康親王が生まれたとき、藤原冬嗣はすでに亡くなっており、
かわって息子の藤原良房(ふじわらのよしふさ)が、嵯峨上皇の信頼を得て権力をのばしています。
藤原良房としては、妹の藤原順子が産んで、藤原北家で育てている甥っ子が天皇になれば、
なんかいろいろイイコトありそう!と思っちゃうわけです。

どうにかして道康親王を天皇にしたい。
そのためにも、まずは皇太子にしたい。

そんな藤原良房たちの気持ちに、恒貞親王は気付きます。
そして藤原北家にとって、皇太子である自分がめちゃくちゃ邪魔な存在であることも理解します。
このまま皇太子の座についていると、藤原北家にナニかされるのではないか…と、
不安にかられる恒貞親王は、お父さんである淳和上皇に相談します。
すると、淳和上皇も同じように息子のことを心配していたのです。

そこで淳和上皇と恒貞親王は、親子そろって嵯峨上皇のところにゆき、
皇太子をやめさせてほしい、と訴えます。
上皇と皇太子にそんなことをさせてしまうなんて、藤原北家の圧力はよっぽどだったのでしょう…

ところが、嵯峨上皇からは「大丈夫大丈夫!もしものときは私が守ってやるから!!」との返事。
何度か辞意を伝えてみたものの、嵯峨上皇は引きとめるばかりです。

そんななか、淳和上皇がこの世を去ります。
さらに2年後、嵯峨上皇も病に臥せってしまいます。

これに危機を感じたのが、恒貞親王に仕える伴健岑(とものこわみね)という人物です。

この人、大伴氏の1人です。
淳和天皇が即位するさい、大伴氏は伴氏へと名前を改めています。
なぜなら、先にも述べたように、淳和天皇の名前が大伴親王だからです。
天皇と同じ名前を名乗るなんて畏(おそ)れ多すぎます!ということで、
大伴氏の「大」をとって、伴氏としたわけです。

その伴健岑には、すごく字の上手な友人がいます。
三筆の1人である橘逸勢です。
平安時代(4)に登場した人物ですので、復習しておいてくださいね。

恒貞親王の身を心配する伴健岑は、友人の橘逸勢とともに、
恒貞親王を東国に脱出させる計画をたてます。
ところが、この計画が藤原良房の耳に入ってしまうのです…

結果、嵯峨上皇が亡くなると、伴健岑と橘逸勢は謀反人(むほんにん)として捕らえられ、
伴健岑は隠岐に、橘逸勢は伊豆に流罪となります。
(隠岐と伊豆の場所が分からない人は、飛鳥時代(11)で確認ですよ!)
さらに恒貞親王は、皇太子の座をおろされてしまいます。
このように、皇太子の座を廃されることを、廃太子(はいたいし)といいます。

842年に起きた以上のできごとを、当時の年号をとって承和の変といいます。
承和の変ののち、藤原良房は中納言から大納言に昇進し、
恒貞親王にかわって道康親王が皇太子となります。

842-2.jpg

8年後、仁明天皇が譲位し、道康親王は文徳天皇(もんとくてんのう)となります。
ついに藤原良房の念願がかない、かわいい甥っ子が天皇となったのです!
しかし、藤原良房はこんなことで満足するような人間ではありません。
もっともっとすごいことを考えているのです…

次回につづく。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

842年.jpg

これから色んな人が排斥されてゆくので、
承和の変は、「トモ(トモのこわみね)ダチ(タチばなのはやなり)」で覚えてくださいね。



次回は、2つ目の他氏排斥事件である応天門の変を、ゴロ合わせとともにお届けします。
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