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1159年 平治の乱が起こる [年号のゴロ合わせ]

今日は、平治元年(へいじがんねん)、西暦1159年に起きた
平治の乱(へいじのらん)を取り上げます。

まずは、対立関係を表でみてみましょう。

1159-1.jpg

前回の保元の乱(ほうげんのらん)から3年しか経っていないというのに、新キャラが続々と!
しかも名前が似たり寄ったりでややこしい!!
ホント受験生泣かせですよね…

なるべく簡潔に解説していきますので、
頭を整理しながらついてきてくださいねー!!



保元の乱に勝利した後白河天皇(ごしらかわてんのう)は、政治改革を推し進めます。
その改革のブレーンとなったのが、信西(しんぜい)です。
もとは藤原通憲(ふじわらのみちのり)という名前の貴族だったのですが、
このころには出家していて、信西というボーズネームを名乗っています。

どうして信西がブレーンになれたのかというと、
本人が頭脳明晰(ずのうめいせき)であることに加えて、
奥さんが後白河天皇の乳母(うば)だったからです。

乳母って分かりますか?
赤ちゃん用のミルクがないこの時代、
お母さんのおっぱいの出がよろしくないと、赤ちゃんが死んでしまうことさえありました。
そうならないためにも、めっちゃ母乳の出る女性を授乳係として雇うことがあったのです。
お母さんにかわっておっぱいを与えてくれる女性、それが乳母です。

ちなみに、母乳が出るのは出産から数年以内の女性に限られます。
とゆーことは…
そうです、乳母にも赤ちゃんがいるのです。
雇い主の赤ちゃんに授乳し、我が子にも授乳するのです。
しかも、授乳の順番は雇い主の赤ちゃんが先なんだそうですよ。
うーん、たいへんだぁ~…

信西の奥さんが後白河天皇の乳母に選ばれたのは、
後白河天皇が産まれて間もなくのことだったようです。
(このとき信西とすでに結婚していたかどうかは不明です)
しかし、このころ彼女が出産したという記録は残っていません。

ん?てことは??
そう、おっぱい出ないんです。

実は、乳母というのは授乳するだけではないのです。
身分の高い人々の間では、育児はしかるべき人物にお任せする、という慣例がありました。
その育児を担当する女性も、乳母と呼ばれたのです。

つまり信西の奥さんは、後白河天皇の養育を専門とする乳母だったのです。
そんなこんなで信西は、後白河天皇の時代に力をのばし、改革を進めてゆきます。

① 保元の乱のあと、後白河天皇のブレーンである信西が改革をおこなう
まずはこれを頭に入れてください。

*   *   *

このころ信西は、軍事力が必要だと考えるようになります。
それは、保元の乱で荒れた京都の治安を守るためであり、
各地の荘園を管理するためであり、
そしてなにより、自らが進める改革に対する反発を抑え込むためです。
そこで信西が手を組んだのが、最大の兵力をほこる平清盛(たいらのきよもり)です。
信西は、平清盛の軍事力を背景に改革を推し進め、
平清盛は、信西の力をかりて一族の出世をはかってゆくのです。

② 信西と平清盛が手を組んで、それぞれ力をのばしてゆく
ここまではOKですね?
さぁ、いよいよややこしくなってきますよぉ~…

*   *   *

1158年、後白河天皇は息子に譲位し、二条天皇(にじょうてんのう)が即位します。
これを決定したのは、信西と美福門院(びふくもんいん)です。
美福門院は、保元の乱でも登場した鳥羽法皇(とばほうおう)の奥さんですよ~。

二条天皇は、生まれて間もなくお母さんを亡くしたので、
おじいちゃんである鳥羽法皇に引き取られ、美福門院によって育てられます。
やがて美福門院は、我が子同然の二条天皇の即位を願うようになります。
鳥羽法皇亡きあと、ものすごい広さの荘園を相続した美福門院の発言力は相当なもので、
またそもそも後白河天皇は、二条天皇が成人するまでのツナギで即位したため(詳しくは保元の乱で!)、
信西は美福門院の要求を聞き入れるしかなかったようです。

こうして天皇の座を退いた後白河上皇(ごしらかわじょうこう)は院政を開始し、
親政をめざす二条天皇と対立するようになるのです。

③ 後白河上皇と二条天皇が対立する
このころ後白河上皇は、信西にかわるあらたな家臣を探しはじめます。

*   *   *

院政をおこなうなかで、
後白河上皇は藤原信頼(ふじわらののぶより)という貴族を頼るようになります。
信頼(のぶより)を信頼(しんらい)しちゃうわけですね~、ははは。
藤原信頼のように、院政をおこなう上皇の近くに仕える家臣のことを、
院近臣(いんのきんしん)といいます。
信西ももちろんその1人です。

ちなみに、藤原信頼は源義朝(みなもとのよしとも)と手を組んでいます。
源義朝は、保元の乱で平清盛とともに戦い、後白河天皇サイドを勝利に導いた武士でしたね。

④ 後白河上皇が、藤原信頼(源義朝と手を組む)を頼るようになる
なぜ後白河上皇が藤原信頼を頼るようになったのかというと、
ズバリ2人が“おホモダチ”だったから!という説があります(諸説アリマス)。
腐女子ども、「キャー!!」と興奮することなかれ、
男色(だんしょく、今風にいうとBLですね)は、この時代フツーのことです。
また後日、詳しく?述べたいと思います。

*   *   *

さて、信西はどうしているのかというと、
自分の子どもたちを次々と出世させ、ますます力をのばしている真っ最中です。
おぉっと、これはまわりのヒンシュクを買うパターンですねー。

ただですねー…
信西ムカつくからボッコボコにしたいなぁーって思ってもですねー…
彼の近くには平清盛がいるんですよ。

めっちゃ強いんですよ!
兵力ハンパないんですよ!!
手出しできないんですよ!!!

1159-6.jpg

⑤ 信西ムカつく、でも平清盛が怖すぎて手が出せない
ちなみに、藤原信頼と手を組んでいる源義朝ですが、
保元の乱の恩賞が平清盛より少なかったことにかなり不満を抱いています。
でも、平清盛には敵(かな)いそうにないので、何も言えずにいます…

*   *   *

なんとそんなとき!
平清盛が熊野詣(くまのもうで)に出かけます!!

熊野詣については、平安時代(15)で詳しく述べていますが、
簡単に言うと、紀伊半島のさきっちょにある神社を参詣(さんけい)することです。

そーなんです!
あの平清盛が、平安京から遠く離れた神社までお参りしに行っちゃったのです!!
これは信西をボッコボコにするチャンスです!!!

すかさず藤原信頼と源義朝は立ち上がります。
まずは、後白河上皇の邸宅である三条殿(さんじょうどの)を襲撃し、
後白河上皇の身柄(みがら)を確保します。
そして、二条天皇も一緒に幽閉(ゆうへい、閉じ込めてしまうこと)してしまいます。

この様子は、鎌倉文化で紹介する「平治物語絵巻(へいじものがたりえまき)」に描かれています。
Heiji_no_ran.jpg
燃えさかる三条殿を背景に、残酷な場面がさまざまに描かれています。
なかには戦乱に巻き込まれる女性の姿も確認できますね。

⑥ 平清盛が熊野詣に出かけた隙に、藤原信頼と源義朝が挙兵し、後白河上皇と二条天皇を幽閉したうえで信西を排除しようとする
てか、「藤原信頼と源義朝は後白河上皇の味方なのに、何で襲撃してんの?」ってパニくりません?
こーゆーところがややこしいんですよねー…
朝廷の軍隊を官軍(かんぐん)、それに敵対する軍隊を賊軍(ぞくぐん)と呼ぶように、
天皇や上皇をいただく軍隊は、正当性のある軍隊です。
よって、藤原信頼と源義朝は、信西を排除するという自分たちの行動が正当なものであるよう、
また二条天皇と後白河上皇の身柄が信西や平清盛に奪われ、自分たちが賊軍となってしまわないよう、
まず三条殿を襲撃したのだと考えられます。
それにしても、こんな手荒な方法しかなかったんですかねぇ…

*   *   *

ところで、信西はどうなったのかというと、この混乱のなか、なんとか平安京を脱出し、
山城国の田原(たわら、現在の宇治田原町(うじたわらちょう))という場所まで逃れます。
そして、大きな箱のなかに入り、家来たちに命じて土の中に埋めてもらいます。

ちょ…
ほんまにそんな隠れ方する人おるんですね…
しかも、箱には竹筒をさして、ちゃんと息を吸えるようにしておいたというんだからカンペキです!

しかぁし!
家来たちは追手(おって)の尋問に耐えられず、信西の居所はすぐにバレてしまいます…

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うぅ…ここまでしたのに…む、無念…
信西は、掘り起こされる最中、自ら喉をついて命を絶ったようです。

その後の信西の様子は、さきほども登場した「平治物語絵巻」に描かれています。
1159-3.jpg
↑ どこに信西がいるか分かりますか?
分かりにくいでしょうから、ちょっと赤丸をつけてみますね。
1159-4.jpg
↑ ワァァァー!いたァァァァーー!!(涙)
胴体から切り離された信西の首は、薙刀(なぎなた)にひっつけられて平安京まで運ばれたのです。
絵巻には、その様子を見た人たちが息をのんだり、ひそひそ話をしたりする姿も描かれていますね。

⑦ 信西が自害する
信西の子どもたちも次々と捕らえられ、のちに流罪となります。

*   *   *

クーデターを成功させた藤原信頼は、ついに政権を手に入れます。
ところがどっこい!
このタイミングで、熊野詣を中断した平清盛がいそぎ平安京に戻ってくるのです!!

藤原信頼の血なまぐさいやり方に不満をもつ者も多いなか、
ものすごい兵力を率いる平清盛が戻ったことで、藤原信頼の政権は揺らぎます。
さらになんと、二条天皇が夜な夜な平清盛の邸宅に逃げてきて、
藤原信頼と源義朝を討つよう命じるのです!

朝になり、二条天皇がいないことに気が付いた藤原信頼と源義朝はもうパニックです。
しかも、二条天皇の動向を知った後白河上皇もすでに逃げ出しているという始末。
藤原信頼と源義朝は、一夜のうちに賊軍になってしまったのです…

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⑧ 帰京した平清盛に、二条天皇が藤原信頼・源義朝の追討を命じる
後白河上皇と藤原信頼のカンケイって、そんなもんだったんですねぇ…

*   *   *

官軍となって勢いづいた平清盛は、藤原信頼と源義朝を討つため、
息子の平重盛(たいらのしげもり)や、弟の平頼盛(たいらのよりもり)らと出陣します。
それを迎え撃つ源義朝は、
息子の源義平(みなもとのよしひら)・源頼朝(みなもとのよりとも)らを率いて戦いますが、
平清盛との兵力の差は歴然で、敗れてしまいます。
なんとか東国へ逃れようとしますが、源義朝は尾張国(おわりのくに)で謀殺(ぼうさつ)され、
その後、源義平も捕らえられて斬首となります。

藤原信頼はというと、自ら出頭し、言い訳をしまくりますが、
三条殿を襲撃し、信西を殺害した首謀者として斬首されます。

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⑨ 藤原信頼が処刑され、源義朝は殺害される
ちなみに、源頼朝はというと、東国へ逃れる途中でお父さんとはぐれてしまいます。
その後、捕らえられ、処刑されるところを、
平清盛のお母さん(実母ではありません)が「命だけは助けてあげて」と訴えたため、
伊豆国(いずのくに)に流罪となります。

だって源頼朝、このとき13歳なんですよ!
処刑するなんて、あまりにもかわいそうじゃないですか!!

でもねー…
この優しさが平氏を滅ぼすことになっちゃうんですよねー…

*   *   *

長くなりました、ホントに長くなりましたゴメンナサイ。
なるべく簡潔にと言っておきながら、全然短くまとまんなかったですゴメンナサイ。

とにもかくにも、まずは青字で書いたを覚えて平治の乱の大枠(おおわく)をとらえ、
そのあと細かいところを読んで理解を深めてください。

最後にゴロ合わせを載せておきましょう★

1159年.jpg






保元の乱も平治の乱も、武士の力によって決着がつきました。
みんなが武士の実力を、とくに平氏の実力を認めざるをえなくなります。
というわけで、次回は平氏政権をゴロ合わせとともにお届けします。

更新が滞っていること、なにとぞご了承ください…

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画像出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/平治の乱
https://ja.wikipedia.org/wiki/信西
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あいうえお

突然のコメント失礼致します。
たまたまなのですが、とある武士の家系図を画像検索していたところ、非常に懐かしい語呂合わせのイラストが出てきて、「もしや…?」と思い、コメントさせていただきました。ここでコメントをするか迷いましたが、改めて当時のお礼を言わせてください。先生の授業は本当に毎回楽しくて、学校生活の中で1番ウキウキしてた授業だった記憶があります。何より毎回のプリントの丁寧なイラストが凄すぎて、感動していました。100点を取ると可愛いイラストを描いてくれるのを楽しみに、テストを頑張っていた記憶があります。今はもう大学生後半となりましたが、これからもブログを楽しみに読ませていただきます!当時は本当にありがとうございました!
by あいうえお (2019-07-13 20:03) 

春之助

あいうえお様

嬉しいコメント、ありがとうございます!
教壇をおりて4年が経ちますが、このような形でかつての生徒と再会できたこと、本当にうれしく思います。
定期テストで100点をとるくらい努力していたのですね!
さぞかし充実した大学生活を送っていることと思います。
トップページから直接メールもできますので、近況などお聞かせくだされば嬉しいです。

by 春之助 (2019-07-13 21:58) 

しおり

春之助さんはじめまして、高3の受験生です。もともと日本史に苦手意識があったのですが、こちらのブログがとても面白くて分かりやすくて、おかげで日本史の面白さに気づけて勉強が楽しくなりました。本当に感謝しています…!
今回とくに面白くて声出して笑いました(笑)更新これからも楽しみに待っています。
by しおり (2019-07-25 19:26) 

春之助

しおり様

コメント、ありがとうございます!
このブログで、日本史の面白さをほんの少しでも感じて頂けたのなら、本当にうれしく思います。
受験に向けて、覚えることだらけで大変だとは思いますが、ちょっとでも楽しみながら勉強して頂けたら幸いです。
のろのろ更新で申し訳ありませんが、これからもよろしくお願いいたします。
受験、がんばってくださいね!応援しています!!
by 春之助 (2019-07-26 23:55) 

ちさと

高3の受験生のものです。平安まで春之助さんのプリントのブログで勉強させていただきました。ほんとにありがとうございます!質問なのですがこのプリントは平安時代以降はアップしていただける予定はありますでしょうか?できれば今年使わせていただきたいのですが、むりであったとしてもブログはずっと拝見させていただくつもりです。お返事いただけると幸いです。いつもわかりやすいプリントと説明ありがとうございます!
by ちさと (2019-08-10 08:28) 

春之助

ちさと様

コメント、ありがとうございます!
まとめプリントで復習してくださってるとのこと、とても嬉しく思います!!
今後ですが、ゴロ合わせを3つ4つアップしたあと、まとめプリントを再開する予定にしております。
しかしながら…育児に時間をとられ、ブログを執筆する時間がほとんどとれない状況が続いております…
ちさと様の受験までにまとめプリントをすべてアップするのは不可能だと思われますが(申し訳ありません…)、なんとか時間を見つけて書き進めていきますので、よろしくお付き合いくださいませ。
受験、頑張ってください!応援していますよ!!
by 春之助 (2019-08-11 15:18) 

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