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平安時代(18) [まとめプリント]

今日から2回にわたって、院政期の文化(いんせいきのぶんか)を取り上げます。
今回は、文学・芸能・建築・彫刻を解説してゆきます。

平安18.jpg

この文化が栄えたのは、院政期、すなわち11世紀末から12世紀ごろです。
文化の中心地は平安京ですが、地方への広がりも見られます。
担い手は、上皇や貴族はもちろんのこと、新たに台頭してきた武士や庶民も加わります。

特徴を3点にまとめると、
(1)これまでの貴族文化にくわえ、
   新たに台頭してきた武士や庶民とその背後にある地方文化を取り入れた、新鮮で豊かな文化
(2)歴史物語(れきしものがたり)・軍記物語(ぐんきものがたり)・絵巻物(えまきもの)の普及
(3)浄土教(じようどきよう)が広まり、各地に浄土教建築や浄土教美術が見られる
です。

*   *   *

では、文学から見ていきましょう。

①歴史物語
武士が台頭し、いよいよ武家政権が成立しようという時代、
貴族たちは華やかな過去に思いを馳せ、それらを振り返ろうとします。
そこでつくられるのが、歴史を題材とする物語、すなわち歴史物語です。
これらの多くは、ひらがな中心の和文体(わぶんたい)で書かれています。
(和文体に対し、漢字だらけの文章は漢文体(かんぶんたい)といいます)

●『栄華物語(栄花物語)』(えいがものがたり)/赤染衛門(あかぞめえもん)?
…宇多天皇(うだてんのう)~堀河天皇(ほりかわてんのう)の時代を、
 編年体(へんねんたい)でまとめた歴史物語
 藤原道長(ふじわらのみちなが)を中心に宮廷貴族の栄華を描き、それを賛美します
 作者は赤染衛門という女性が有力で、続編はのちに別の誰かが書いたと考えられています
 よって、国風文化に区分されたり、院政期の文化に区分されたりするのですが、
 近年は国風文化に区分されることが多くなっています

●『大鏡』(おおかがみ)/作者不明
…文徳天皇(もんとくてんのう)~後一条天皇(ごいちじょうてんのう)の時代を、
 紀伝体(きでんたい)でまとめた歴史物語
 190歳(え?)のおじいちゃんと180歳(えぇ?)のおじいちゃんが語り合う藤原道長の栄華を、
 ワカゾーが質問したり批評したりして批判的にとらえています

*この2冊は藤原道長の栄華を対照的に評価しています
・『栄華物語(栄花物語)』は賛美
・『大鏡』は批判
 と、セットで覚えておくとよいでしょう☆
 (そのために『栄華物語』は院政期の文化で紹介しました)

*編年体と紀伝体
 どちらも中国の歴史叙述法です
・編年体:出来事を年代順に記述する形式
・紀伝体:個人や1つの国に関する情報をまとめて記述する形式
 簡単にいうと、編年体は年表スタイル、
 紀伝体はカテゴリーごとにまとめたスタイル、てな感じです

●『今鏡』(いまかがみ)/藤原為経(ふじわらのためつね)
…『大鏡』のあと、後一条天皇から高倉天皇(たかくらてんのう)の時代を、
 紀伝体でまとめた歴史物語
 150歳(えぇぇ?)のおばあちゃんが語る昔話を記録する、という形で物語が進むのですが、
 なんでもこのおばあちゃん、『大鏡』の190歳のおじいちゃんの孫なんだって!
 すんごい長生きの家系だね!!

*ちなみに、タイトルに「鏡」のつく歴史物語が、
 『大鏡』・『今鏡』・『水鏡』(みずかがみ)・『増鏡』(ますかがみ)と4つあり、
 これらをまとめて「四鏡」(しきょう)といいます
 「ダイ・コン・ミズ・マシ」のゴロ合わせで覚えてねって古典の授業でも習いませんでしたか?
 『栄華物語(栄花物語)』も一緒に、
 「ハナ・ダイ・コン・ミズ・マシ」で覚えるパターンもあります
 『水鏡』は鎌倉文化、『増鏡』は南北朝文化でご紹介しますね~

②軍記物語
戦乱を主題とする物語です。
この時期の貴族たちが、地方武士の動きに関心をもっていたことを表しています。

●『将門記』(しょうもんき)/作者不明
平将門の乱(たいらのまさかどのらん)を日本語風の漢文体で記した軍記物語
 作者も成立年代も不明ですが、最初の軍記物語と考えられています

●『陸奥話記』(むつわき)/作者不明
前九年合戦(ぜんくねんかっせん)の経過を日本語風の漢文体で記した軍記物語
 11世紀後半ごろに成立したと考えられています

③説話集(せつわしゅう)
人々のあいだで語り伝えられてきた昔話や伝承などをまとめたもので、
宗教的訓戒のほか、当時の武士や庶民の生活・風習などを描いています。
この時期の貴族たちが、武士や庶民の姿に関心をもっていたことを表しています。

●『今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)/作者不明
…インド・中国・日本に伝わる説話を1000話余り集めた説話集
 すべて「今は昔…」で始まることから、このタイトルがつけられています

 ん?そういえば…
 「受領ハ倒ル所ニ土ヲツカメ」とか言っちゃったヒトって、
 『今昔物語集』に載ってたんでしたよね…

 名前、思い出せますか?
 あのガメツくヒラタケとってきた受領ですよ!!

 正解は…
 藤原陳忠(ふじわらののぶただ)でしたー!
 覚えてましたか??
 詳しくは988年のゴロ合わせをご覧ください~

*   *   *

次に、芸能を見てゆきましょう。

①今様(いまよう)
今様とは「現代風の歌謡」という意味で、平安時代末期に流行した民間歌謡をさします。
もとは庶民の間で流行っていた歌なのですが、
これにドハマりしたのが、まさかの後白河法皇(ごしらかわほうおう)です。
そのハマりようは、今様の歌いすぎで喉を痛めてしまうほどだったようで、
果てはヒット曲を集めた『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)という本までつくっています。
この時期の貴族が、庶民の文化と深く関わりをもっていたことを示しています。

②催馬楽(さいばら)
神事の神楽歌(かぐらうた)や古謡(こよう、古くから伝わる歌謡のこと)をアレンジし、
雅楽(ががく)の伴奏にあわせてうたうもの。
平安時代中期以降、貴族に愛好されます。

③朗詠(ろうえい)
雅楽の伴奏にあわせて、おもに漢詩の名句をメロディーにのせてうたうもの。
朗詠といえば、『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)ってのがありましたね…
復習しておいてくださーい!

④田楽(でんがく)と猿楽(さるがく)
● 田楽:豊作を祈って、田植えのときにおこなう農耕儀礼がはじまりと考えられています
    平安時代には芸能として洗練されてゆきます
● 猿楽:ものまねをはじめ、滑稽(こっけい)を主とする雑芸・歌曲のこと
    奈良時代に伝来した散楽(さんがく)という芸能に由来すると考えられています
どちらも、庶民のみならず、貴族の間でも流行し、
やがて祇園祭(ぎおんまつり)などの御霊会(ごりょうえ)や、
大寺院での法会(ほうえ)などでも演じられるようになります



プリントの右上に移って、建築を見ていきましょう。

①浄土教建築
このころ、浄土教の思想は全国に広まります。
それは、寺院に所属しない聖(ひじり)や上人(しょうにん)などと呼ばれる民間の布教者が、
各地で浄土教を説いてまわったためです(聖と上人の厳密な区別はありません)。
浄土教について、詳しくは1052年のゴロ合わせに書きましたが、
阿弥陀仏(あみだぶつ)、または、阿弥陀如来(あみだにょらい)と呼ばれる仏さまを信仰し、
来世(らいせ)において極楽浄土(ごくらくじょうど)に往生(おうじょう)することを願う教えですす。
これが全国に広まった結果、各地の地方豪族たちが、
阿弥陀仏をまつる阿弥陀堂(あみだどう)を建立するようになるのです。

● 中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう、岩手県)
…奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)の本拠地である平泉(ひらいずみ)に、
 藤原清衡(ふじわらのきよひら)が建立した阿弥陀堂
 極楽浄土を再現したかのように(行ったことないけど)、どこもかしこも金ピカです
 ちなみに、台座の部分には、
 藤原清衡・藤原基衡(ふじわらのもとひら)・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)三代のミイラと、
 藤原泰衡(ふじわらのやすひら)の首が納められています

● 白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう、福島県)
…藤原清衡の娘が、亡き旦那さまのために建てた阿弥陀堂
 「白水」は、平泉の「泉」の漢字を分解したものと考えられています

● 富貴寺大堂(ふきじおおどう、大分県)
…九州最古の阿弥陀堂
 このころ、九州にも浄土教が広まっていたことを今に伝えています

②厳島神社(いつくしまじんじゃ、広島県)
航海の安全をつかさどる神様をまつる神社です。
日宋貿易(にっそうぼうえき)を推進する平清盛(たいらのきよもり)があつく信仰し、
海に浮かぶ寝殿造(しんでんづくり)のような立派な社殿を整えます。
1996年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。

行ったことありますか?
もうね、本当に美しいんですよ…
個人的なことを申しますと、私、大好きなのです。

柱がどっぷりと海につかる満潮のときの姿が美しいのはもちろんですし、
大きな鳥居まで歩いて行けちゃう干潮のときの姿も一興です。

何度か訪れたときに何の気なしに撮った写真ですが、
たまたま同じアングルで撮っていたので見比べてみてください。

↓ 満潮のとき
DSC06556.JPG

↓ 干潮のとき(鳥居のところまで人がいっぱい!)
DSC01038.JPG

日本三景(にほんさんけい)の1つに数えられるのも納得ですね~。

③三仏寺投入堂(さんぶつじなげいれどう、鳥取県)
修験道(しゅげんどう)の修行場である断崖絶壁に建てられたお堂です。
修験道をひらいた役小角(えんのおづぬ)、または、役行者(えんのぎょうじゃ)という人が、
ここに投げ入れて作った、という伝説から投入堂という名前がついています。

平安18-6.jpg

いやチョットこれすごくないですか?
断崖絶壁のくぼみに、見事にジャストフィットしてますよね。
投げ入れたというのも納得してしまいます。
(役小角は飛鳥時代の人ですけどね…)

高校生の時、日本史の資料集で見て衝撃を受けて以来、ずーっと行きたかったんですよ。
10年ほど前に念願叶って参拝してきましたので、いくつか写真を見てください!

↓ まず、どこにあるのかというと…ここです!
 もんのすんごい山の中です!!
平安18-9.jpg

しかもその道中ったら…

↓ ひたすらこんな断崖絶壁なんですよ!(この後ろ姿は母です)
 道中は階段なぞ整備されていませんので、木の根っことかを頼りに登ってゆきます。
 ちなみに、スニーカーよりもワラジがオススメとのことで、ワラジを購入しました。
平安18-7.jpg

↓ とてつもなく巨大な岩を、クサリを使って登らなければならないところもあります。
 「日本一危険な国宝」と呼ばれるのも納得です…
平安18-11.jpg

↓ 休憩することなく(そんな場所もないし…)ひたすら30分ほど登った先にあるのが、
 この文殊堂(もんじゅどう)というお堂です。
 すごく良い景色なのですが…
平安18-12.jpg

↓ 足元はこんなことになっております!
平安18-13.jpg

ここからさらに10分ほど登ると…

↓ ついに!投入堂に到着です!!
(投入堂の中には入れません、この場所から拝観するのみです)
平安18-10.jpg
もうね、すっっっごい感動しますよ!
登る前は「投入堂着いたら何かめっちゃ願い事したるねん!」とか思ってましたが、
投入堂の姿を見た瞬間、おのれの願い事なんてホントどーでもよくなりました!!
ボンノーが消えた気がいたしました…

しかぁし!
感動も束の間…

↓ 帰り道もヤバいのです!イヤむしろ帰り道のがヤバいのです!!
 写真では伝わりにくいですけど、ほんとにすんごい崖なんですよ、コレ。
 ずっとお尻つけてズリズリ滑り降りてかないと絶対落ちて死ぬわ…ってレベルです。
平安18-5.jpg

投入堂のスゴさ、伝わりましたでしょうか?
体力に自信のある方、機会があればぜひ登ってみてください。
季節・天候・服装・人数など様々な入山制限がありますので、
行かれる際は事前に公式HPなどで調べてからお出かけくださいませ!

*   *   *

最後に彫刻を見ておきましょう。

①蓮華王院千手観音立像(れんげおういんせんじゅかんのんりゅうぞう、京都府)
蓮華王院(れんげおういん)は、三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)とも呼ばれるお堂で、
平清盛が、後白河法皇の院御所(いんのごしょ)のすぐ近くに造営し、寄進したものです。

現在もなかにはズラズラズラーーーッと1000体もの千手観音立像が並んでいるのですが、
このうち124体が院政期のもの、つまり平清盛が創建した当時のものなんだとか。

とにもかくにも、1000体の千手観音立像が整然と並ぶ姿は本当に圧巻です。
ちなみに、一体一体みんな違うお顔をしているんですよ。
ガイドさんに「このなかにアナタにそっくりな観音様が必ずいますよ」なんて説明されたりして、
ついつい「どれどれ?」と探してしまいます(笑)

なお、蓮華王院の建物自体は鎌倉時代に焼失し、再建されています。
そして、本尊の千手観音坐像(せんじゅかんのんざぞう)も鎌倉時代の作品です。
どちらも鎌倉文化でまた紹介しますね~。

念のため説明しておくと、
千手観音立像は立っている千手観音さまで、
千手観音坐像は座っている千手観音さまです。

②浄瑠璃寺本堂九体阿弥陀如来像(じょうるりじほんどうくたいあみだにょらいぞう、京都府)
極楽往生の仕方には9通りある、ということからつくられた、9体の阿弥陀如来像です。

③臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ、大分県)
岸壁を刻んでつくられた、60体あまりの石仏(せきぶつ、石でつくられた仏さま)です。

解答を載せて終わりにしましょう!

平安18解答.jpg



次回は院政期の文化の続き、絵巻物を中心に絵画資料を見てゆきます!

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画像出典
中尊寺HP https://www.chusonji.or.jp/index.html
白水阿弥陀堂HP http://shiramizu-amidado.org/
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/臼杵磨崖仏
奈良寺社ガイド https://nara-jisya.info/2018/12/16/浄瑠璃寺/#i-4
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tomi_tomi

投入堂に参拝されたお母さん尊敬します。馬の背・木の根・鎖等危険な個所ばかりで1人での入山は禁止されてるので未だに行けてません。
by tomi_tomi (2020-09-09 23:48) 

春之助

tomi_tomi様
コメントありがとうございます!
そうなんです…母親もここまですごい道だとは思っておらず、さりとて引き返すこともできず、なんとか一緒に登りきってくれました。
このときは、お一人で来て入山を断られていた男性がいて、一緒に登ることにしました。
その方は、幼少期に三仏寺の近くに住んでいて、子どものころよく登ったとのことで、道案内して頂きました。
その方がいなければ、道さえ分からず遭難していたかもしれません…
tomi_tomi様もぜひいつかどうぞ!
by 春之助 (2020-09-10 21:31) 

大鳥圭介

私が見ている日本史に関するブログのベスト1・2です。まず、誤字がない、親しみことが挙げられます。
日本史に詳しい方の記事は、引用される史料に関しての誤字はないが、現代語に訳されたり、自分の言葉にされた時に誤字が見受けられます。

38ただ、友人にこのサイトを薦めようと思う時、エッチなサイトのコマーシャルが出てくるので躊躇します。
by 大鳥圭介 (2021-06-27 15:15) 

春之助

大鳥圭介様
コメントありがとうございます!
日本史の苦手な学生さんにも伝わるように、なるべく簡潔にかみくだいて書くことにつとめておりますが、誤字のないことまでお褒め頂けるとは思っておりませんでした!!

広告についてのご指摘もありがとうございます。広告配信会社に連絡しましたので、近日中に改良されることと思います。申し訳ありません…
by 春之助 (2021-06-27 21:41) 

大鳥圭介

山川出版の「改訂版 詳説日本史B」を購入しました。50年前と違って、カラー印刷の綺麗なことに驚きました。
私の頃は、カラー写真は口絵だけでした。文化の始まりから読み始めましたが、何故か縄文遺跡の地図が掲載されていません。加曾利遺跡や夏島遺跡、亀ヶ岡遺跡など、どうして削除されたのか不思議です。加曾利B式とかE式という土器の名称を覚えた記憶があります。

悩み事が二つあります。
一つ目は、パソコンではエッチな広告が解消されていません。タブレットで見ると、広告も普通の広告で消去も出来るのですが、パソコンは消去出来ず困っています。
二つ目は、記事をプリントアウトしているのですが、エッチな広告も印刷され、広告がカラーなのでインク代がもったいないです。それと、まとめブリントを印刷しても拡大の仕方がわからず、小さいままの印刷で困っています。解消方法を教えていただければ、幸いです。
by 大鳥圭介 (2021-06-30 10:40) 

春之助

大鳥圭介様
私が高校生のころも、巻頭の口絵だけがカラーでした(笑)

さて、広告についてです。広告配信会社に連絡したところ、おそらく該当の広告はクリックすると普通?のゲームサイトであるようで、アダルト広告ではないため非表示にはできない、という返信でした。申し訳ありません。
まとめプリントの印刷は、画像としてパソコンに保存していただき、それをプリンターで印刷する際に指定のサイズに拡大していただけたらと思います。お使いのプリンターによって設定は異なりますので、ここまでしかアドバイスできませんが、一度お試しいただきますようお願いいたします。
by 春之助 (2021-07-10 14:19) 

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