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1180年 以仁王と源頼政が挙兵する [年号のゴロ合わせ]

長かった平安時代もそろそろおしまいです。
今日は、治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)のはじまりである、
以仁王(もちひとおう)と源頼政(みなもとのよりまさ)の挙兵をお届けします。

治承・寿永の乱とは、
1180年、以仁王と源頼政が兵を挙げ、
これをきっかけに各地で源氏などが次々と平氏打倒の反乱を起こし、
1185年に壇の浦の戦い(だんのうらのたたかい)で平氏が滅亡するまでの大規模な内乱をさします。
いわゆる源平の争乱のことです。

ちなみに、治承(じしょう)も寿永(じゅえい)も元号(げんごう)です。
以仁王と源頼政が挙兵した1180年は治承4年で、
平氏が滅亡した1185年は元暦(げんりゃく)2年です。

え?あれ??
元暦ってナニ?寿永じゃないの??って思いますよね。

このころの元号は、
治承(1177~1181年)→養和(ようわ、1181~1182年)→寿永(1182~1184年)→元暦(1184~1185年)
と変化しているのですが、平氏は元暦という元号を認めず、寿永を使い続けます。
壇の浦の戦いが起きたのは、世間では元暦2年なんだけど、平氏的には寿永4年というワケです。
平氏の気持ちに寄り添ってか、現在でも源平の争乱を治承・寿永の乱と呼んでいます。

では、治承・寿永の乱が起こるきっかけとなった、以仁王と源頼政の挙兵を見てゆきましょう。



以仁王は、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の息子です。
幼いころから優秀で、学問や書道はもちろんのこと、
歌や笛の才能にもたけた多才な人物であったようです。
しかも、お兄ちゃんは二条天皇(にじょうてんのう)で、
甥っ子は六条天皇(ろくじょうてんのう)というロイヤルな血筋で、
天皇になる可能性を存分にもった人物です。

しかし、六条天皇にかわって即位したのは、弟の高倉天皇(たかくらてんのう)です。
このころ権勢を誇る平氏が、なかでも高倉天皇のお母さんである平滋子(たいらのしげこ)が、
以仁王の邪魔をして、平氏の血を引く高倉天皇を即位させたと言われています。

なんだか平氏に対する不満がムクムクとわいてきますよね…

その後、鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)などを経て、
平清盛(たいらのきよもり)はクーデターを起こし、
後白河法皇を幽閉して院政を停止させてしまいます。
このとき、以仁王も平氏に荘園の一部を没収されるという憂き目に遭っています。

ますます平氏に対する不満がムクムクしてきますよね…

さらに1180年、高倉天皇と平徳子(たいらのとくこ)の間に生まれた満1歳の安徳天皇(あんとくてんのう)が即位し、
平清盛は天皇の外戚(がいせき)としてますます権力をほしいままにします。

高位高官を独占し、
たくさんの荘園や知行国(ちぎょうこく)を所有し、
日宋貿易(にっそうぼうえき)の利益を独占し、
さらに天皇の外戚となった平氏はもう栄華を極めまくりです。
そりゃ平時忠(たいらのときただ)も、「平家にあらずんば人にあらず」なんて言っちゃいます。

その一方で、平氏と血のつながりをもたない以仁王は、天皇になる可能性を完全に失ってしまいます。

もうね、以仁王の平氏に対する不満はムクムクの最高潮ですよ!

1180-1.jpg
  (イラスト内の①~⑤は、系図内の即位順です)

平氏ムカつきます!
平氏まじムカつきます!!

しかし、以仁王一人では何もできません。
だって軍事力をもっていないんですもん。

そこで手を組むのが、源頼政なのです。

*   *   *

源氏といえば、源義家(みなもとのよしいえ)や源義朝(みなもとのよしとも)、
源頼朝(みなもとのよりとも)・源義経(みなもとのよしつね)兄弟などを思い浮かべますよね。
彼らはいわば、源氏を代表するスーパースターです。

源頼政は、この人たちとは血のつながりがちょっと遠い源氏の一人です。
(詳しくは平安時代(13)のプリントの系図で確認してみてください)
保元の乱(ほうげんのらん)では後白河天皇(ごしらかわてんのう)サイドについて勝利し、
平治の乱(へいじのらん)では平清盛に味方して、その勝利におおきく貢献したという過去をもつ人物です。
平治の乱で源氏が次々と処分されるなか、
源頼政は一人、平清盛のあつい信頼を得て平氏政権でも大活躍するのです。

ところが、ちっとも出世しないのです。
あるとき、源頼政がそのことをうらむ和歌を詠んだところ、
平清盛が「忘れてたーッッ!!」と、すぐに従三位(じゅさんみ)に昇進させてくれました。
「忘れとったんかーーーーいッッ!!!」という突っ込みはさておき、
従三位といえば公卿(くぎょう)ですからね!
源氏にとってはそれはそれはもうアリエナイ大出世です!!
(公卿については飛鳥時代(8)を復習してください)
とにかく平氏は源頼政をめちゃくちゃ信頼していたのです(忘れてたけどね…笑)

このとき源頼政は、74歳のおじいちゃんです。
翌1179年には息子の源仲綱(みなもとのなかつな、覚えなくていいですよ)にあとを任せて出家します。

そんな平氏からの信頼あつい源頼政が、なぜ平氏打倒に立ち上がったのでしょうか。
『平家物語』には、こんなエピソードが収録されています。

源頼政の息子である源仲綱は、木の下(このした)と名付けた立派な馬をもっていました。
そのウワサを聞きつけたのが、平清盛の息子である平宗盛(たいらのむねもり)です。

あるとき、平宗盛は「木の下を見せてほしい」と源仲綱に頼みます。
なんだかイヤな予感しかしない源仲綱は、「ちょっと今、うちにいないんです」と答えます。
いないのなら仕方がない…と、いったんは引き下がった平宗盛ですが、
「え?木の下なら最近見ましたよ?」とか、「さっきいましたよ?」とかいう声を耳にします。

腹を立てた平宗盛は、馬を譲るよう何度も何度も、ほんとに何度も何度も源仲綱に要求します。
「オレは平氏だぞ!オレのパパは平清盛だぞ!!」とばかりに圧力をかける平宗盛に、
源頼政もおそれて要求をのむよう息子を説得し、源仲綱はしぶしぶ木の下を平宗盛に渡します。

念願の名馬を手に入れた平宗盛ですが、源仲綱の対応にムカついたようで…

なんと馬の名を「仲綱」と改めて焼き印を押し、
みんなの前でその馬を「仲綱」と呼んで、ムチでたたいたりして笑いものにしたそうな。

1180-2.jpg

む…むねもり…まじ最低やな。

脚色の多い『平家物語』に載っているエピソードなので、真偽のほどは分かりませんが、
もし事実だとしたら…源仲綱はもちろん、源頼政も怒り狂いますよね。
いくら平氏とあつい信頼関係を築いていたって、平氏許さん!!って思いますよね。

*   *   *

1180年4月、以仁王はついに平氏を打倒せよとの令旨(りょうじ)をくだします。

令旨とは、皇太子(こうたいし)や親王(しんのう)などが出す命令文書のことです。
(天皇や太政官(だじょうかん、または、だいじょうかん)の命令は、宣旨(せんじ)です)

ここで「ん?以仁王って令旨出せんの??」って疑問に思いませんか?

そうなんです、以仁王は皇太子でも親王でもないから令旨を出せないんです!
以仁王は親王の地位を与えられておらず、王のまんまなので令旨を出せないんです!!
でも「オレ後白河法皇の息子だし…もうこれ令旨ってことで!」と出しちゃったのです!!!

以仁王の令旨は、平治の乱のあと熊野(くまの)に隠れ住んでいた源氏の一人に託され、
彼が各地の源氏に伝えてまわります。

しかし翌5月、この動きが平氏にバレてしまいます。
平氏はすぐさま以仁王の身柄をおさえようと自宅を包囲しますが、以仁王の姿はありません。
女装(!)して自宅を脱出した以仁王は、すでに滋賀の園城寺(おんじょうじ)にのがれていたのです。

以仁王の居場所を知った平氏は、いそぎ園城寺に向かう軍勢を組織します。
軍勢の大将の一人に選ばれたのは、源頼政です。

その日の夜、源頼政は自宅に火をつけ、園城寺にいる以仁王と合流します。

平氏はここで初めて源頼政の裏切りを知るのです。
ギリギリまで平氏の味方だと信頼していた源頼政が、
まさか以仁王とともに平氏打倒に立ち上がるなんて思ってもみなかったことでしょう。

これは平氏、大ショックです…

以仁王と源頼政は、平氏の軍勢からのがれるべく園城寺をあとにして、
奈良の興福寺(こうふくじ)に向かいます。

途中、平等院(びょうどういん)で休憩をとっていたところを平氏の軍勢に追いつかれ、
交戦のすえ源頼政と源仲綱は平等院で自害します。
現在も、平等院のなかに源頼政のお墓がたっています。
DSC02889.JPG

以仁王はというと、なんとか平等院から逃れられたものの、
敵の放った矢に当たって落馬したところを討ち取られてしまいます。

こうして以仁王と源頼政の挙兵は、あっけなく失敗に終わってしまいます。

しかし、以仁王の令旨は、源頼朝や源義仲(みなもとのよしなか)をはじめ、
各地の源氏の挙兵をうながし、平氏は滅亡へと向かうことになるのです。

では、今日のゴロ合わせ。

1180年.jpg



次回は、治承・寿永の乱のラスト、壇の浦の戦いを中心にお届けします。

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ハマコウ

教科書では簡単にまとめられているものを、分かりやすくまとめられているのでありがたく思います。イラストも理解の助けになります。
by ハマコウ (2020-11-20 16:53) 

おこめ

とてもわかりやすいのでいつもテスト勉強の時に見させて頂いてます。ありがとうございます!
by おこめ (2020-11-23 15:11) 

春之助

ハマコウ様
コメントありがとうございます!
複雑な歴史を簡潔にまとめるのはホントに苦労するので、そう言って頂けると本当に嬉しいです!
by 春之助 (2020-11-23 23:22) 

春之助

おこめ様
嬉しいコメントありがとうございます!
のろのろ更新なので、おこめ様のテストの進度に間に合うか分かりませんが…今後ともよろしくお願いいたします☆
by 春之助 (2020-11-23 23:24) 

リー

平安時代の次が早くみたいです!!!
平安時代のやつから読み始めましたが、学校の授業の復習になりむしろ学校より分かりやすく頭に入ります!参考書欲しいくらいです!
by リー (2020-12-05 23:47) 

春之助

リー様
嬉しいコメントありがとうございます!
早く続きをお届けしたいのですが、このあとの部分が複雑で複雑でなかなかうまくまとまりません…もうしばらくお待ちくださいませ☆
by 春之助 (2020-12-06 22:17) 

みみみ

とっても面白くて分かりやすいです!!
個人的には三仏寺投入堂の絵がものすごくツボで見る度に笑ってます。
(フンって投げ入れてるやつです)
学校の授業が分かりにくいので本当にありがたいです[泣き顔]
ぜひ続きも宜しくお願いします。
by みみみ (2021-01-03 17:49) 

春之助

みみみ様
嬉しいコメントありがとうございます!
学校の授業は、限られた時間のなかで濃い内容を進めてゆかなければならないので、先生たちは大変なのです…
このブログが、みみみ様の理解の助けになれば幸いです☆
続きは…まとめるのに本当に苦戦しております…
もうしばらくお時間くださいませ!!
by 春之助 (2021-01-04 14:28) 

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