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鎌倉時代(1) [まとめプリント]

今日からいよいよ鎌倉時代に突入です!
といっても、プリントは前々回前回の続きです。

今回は、 ↓ このまとめプリントの…
鎌倉1.jpg

残りの ↓ 緑色の部分を埋めて、穴埋めを完成させてしまいましょう!
鎌倉1-1.jpg
(黄色の部分は前々回、青色の部分は前回解説のうえ空欄を埋めています)



1180年8月に挙兵した源頼朝(みなもとのよりとも)は、
石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)に敗れたのち、
相模国(さがみのくに、現在の神奈川県)の鎌倉(かまくら)に入ります。

鎌倉は、源頼義(みなもとのよりよし)の時代に源氏の所領となった場所で、
彼はこの地に鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)という神社を建立しています。

八幡宮(はちまんぐう)とは、武運の神様である八幡神(はちまんしん)をおまつりする神社です。
なんでも、源頼義が前九年合戦(ぜんくねんかっせん)の戦勝を、
京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)にを祈願したところ見事に勝利をおさめたため、
石清水八幡宮の神様の霊を分けてもらって、鶴岡八幡宮におまつりしたんだとか。

結果、鶴岡八幡宮は武士である源氏のあつい信仰をあつめ、
鎌倉は源氏にとってたいへん思い入れのある土地になったというワケです。

また鎌倉は、北・東・西側の三方を険しい山に囲まれ、残る南側は海に面していて、
防御に適した地形をしています。

源頼朝が鎌倉を政治的拠点に定めたのも納得ですよね。

富士川の戦い(ふじがわのたたかい)に勝利した源頼朝は、
弟である源範頼(みなもとののりより)・源義経(みなもとのよしつね)に軍勢の指揮を任せ、
自身は鎌倉に戻って、東国の経営に乗り出します。

ちなみに、石橋山の戦いと富士川の戦いって、
どっちが勝ってどっちが負けたか分からなくなりませんか?
なので、こんなイラストで覚えてしまいましょう!!

鎌倉1-3.jpg

東国の武士たちをまとめる組織が必要だと考えた源頼朝は、
1180年11月に侍所(さむらいどころ)を設置します。
これは、御家人(ごけにん)の統率・軍事・警察をになう機関で、
初代別当(べっとう、長官のこと)には和田義盛(わだよしもり)が就任します。

とはいえ、源頼朝の勢力は、あくまで私的なものに過ぎません。

そこで1183年10月、源頼朝は、後白河法皇(ごしらかわほうおう)から寿永二年十月宣旨(じゅえいにねんじゅうがつせんじ)を引き出し、
朝廷から東海道(とうかいどう)と東山道(とうさんどう)の支配権、
すなわち東国の支配権を認めてもらうのです。

これにより、源頼朝の勢力は、朝廷から認められた正当なものとなるのです。

そして1184年10月には、
一般政務・財政事務をになう公文所(くもんじょ)を設置し、
初代別当に大江広元(おおえのひろもと)を任命します。
また、裁判事務をになう問注所(もんちゅうじょ)も設置し、
初代執事(しつじ、これも長官のこと)に三善康信(みよしのやすのぶ)を任命します。

大江広元も三善康信も、源頼朝が鎌倉に招いた京都出身のお公家さんです。
大江も三善も姓ですので、姓と名前の間に「の」が入ります。
読み方に注意してくださいね!
(姓と名字の違いについては飛鳥時代(5)を読んでください)

源頼朝が東国で支配機構をどんどん整備するなか、
1185年3月、源範頼と源義経が、壇の浦の戦い(だんのうらのたたかい)でついに平氏を滅ぼします。

源頼朝は「弟たち、よくやった!」と大喜びかと思いきや…
実は源義経にめっちゃ怒っています!!

原因はいろいろあるのですが、
源義経が、棟梁(とうりょう)である源頼朝の許可を得ることなく、
後白河法皇から官位(かんい)を授かったことが大きいようです。

また源頼朝は、安徳天皇の身柄と三種の神器(鏡・剣・玉の3点セット)を確保し、
その引き渡しをもって朝廷と様々な交渉をするつもりでいたのに、
源義経は、壇の浦の戦いで安徳天皇の自害を止められず、
三種の神器が海に沈むのも阻止できず、鏡と玉は回収したものの剣を失ってしまいます。

さらに、源頼朝が源義経の補佐役につけた家来から、
「源義経は手柄(てがら)を独り占めしようとしていてアリエナイ!みんな不満いっぱい!!私も早く頼朝様のもとに帰りたい!!!」という内容の手紙まで、源頼朝のもとに届きます。

兄弟といっても、2人は育った環境が全然違いますし、考え方も違いますからね…
源義経もワキが甘いというかなんというか…

そんなこんなで、源頼朝は源義経にめっちゃ怒っているのです。

*   *   *

一方、源義経はというと、
壇の浦(だんのうら)で泳いでるところを捕まえた平宗盛(たいらのむねもり)を引き連れて、
ババーン!!と凱旋(がいせん)するべく鎌倉に向かいます。

しかし、源頼朝は平宗盛だけを引き取り、源義経には近くのお寺で待機するよう命じます。
源義経は、源頼朝の誤解を解くため手紙を書きますが、鎌倉に入ることは許されませんでした。

怒った源義経は、「源頼朝のことがキラいなヤツは、みんなボクについてこい!」的な発言をのこして京都に戻ります。
この発言を耳にした源頼朝は、源義経の所領をすべて没収し、
さらに京都に軍勢を派遣して源義経を襲撃させるのです。

これを返り討ちにした源義経は、
源頼朝の強大化をおそれている後白河法皇から源頼朝追討の院宣(いんぜん)を引き出しますが、
源義経に賛同する者はほとんど現れず、源義経は京都を離れます。

かたや源頼朝は、後白河法皇が源頼朝追討の院宣を出したことに怒り狂います。
あわてた後白河法皇は、なんと源義経追討の院宣を出して源頼朝をなだめようとします。
さらに、鎌倉に使者を派遣して「源頼朝追討の院宣は、後白河法皇の本心ではないよ!源義経に脅されて、もうホントに仕方なく出しただけなんだよ!!」的な言い訳をしまくります。

そんなビビりまくりの後白河法皇に対して源頼朝は、
「え?本心じゃないのに院宣とか出しちゃえるんだ??それって超無責任だよねー。
こっちは追討の院宣出されて謀反人(むほんにん)扱いなんだから、マジやってられんわー。
もうホント、後白河法皇は日本国第一の大天狗だよ!!」みたいな悪口まみれの手紙を送りつけ、
後白河法皇をさらに追い詰めます。

1185年11月、源頼朝は、義理の父である北条時政(ほうじょうときまさ)に大軍を率いて上洛(じょうらく、京都に行くこと)させ、後白河法皇を震え上がらせます。
そこで、源義経追討の院宣にしたがって、源義経を探し出して捕らえることを名目に、
国ごとに守護(しゅご)、荘園・公領ごとに地頭(じとう)を設置する権利を朝廷に認めさせるのです。

またこのとき、地頭が田畑1段(たん)につき5升(しょう)の兵粮米(ひょうろうまい)を徴収する権利(貴族たちの反発が強く、翌年停止)や、在庁官人を支配する権利も獲得します。

こうして源頼朝の権力は全国に及ぶようになり、
事実上、鎌倉幕府(かまくらばくふ)が成立するのです。

*   *   *

源義経追討の院宣によって謀反人となった源義経は、源頼朝による厳しい包囲網に苦しみます。
家来たちは次々と殺され、恋人の静御前(しずかごぜん)も捕まってしまいます。
ちなみに、「ドラえもん」に出てくるしずかちゃんの名前って、“みなもとしずか”なんですよー。
どうやら静御前がモデルの1人みたいです(源義経と静御前は結婚していませんけどね)。

その後、源義経は、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼って奥州(おうしゅう)へ逃れます。
藤原秀衡は、源義経をたてて源頼朝の勢いから奥州を守ろうとしますが、
1187年10月、病気のためこの世を去ってしまいます。
あとを継いだのは、息子の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)です。

源義経が奥州にいることを知った源頼朝は、藤原泰衡に源義経を倒すよう圧力をかけまくります。
これに耐えかねた藤原泰衡は、1189年閏(うるう)4月、源義経を襲撃するのです。

藤原泰衡の兵力はおよそ500騎、対する源義経の兵力はわずか10数騎です。
次々と家来を失ってゆく源義経は、最後は妻と子どもと一緒にお堂にこもって自害します。

このとき、お堂の前に家来の弁慶(べんけい)が立ちはだかって源義経を守りますが、
全身にたくさんの矢を受けて、立ったまま亡くなったと伝わっています。
これを弁慶の立ち往生(たちおうじょう)といいます。

大雪で車が動けなくなってしまうことを立ち往生と言ったりしますが、
本来は、立ったまま往生(おうじょう)する、つまり亡くなることをいいます。

鎌倉1-5.jpg

藤原泰衡は、源頼朝に源義経の首を差し出すことで奥州を守ろうとします。
でも、そもそも源頼朝の目的は、奥州を自分の支配下に入れることなんですよね…

1189年9月、源頼朝は自ら大軍を率いて奥州を攻撃し、
源義経をかくまった罪により、藤原泰衡を斬首します。
これにより、奥州、すなわち陸奥国(むつのくに)と出羽国(でわのくに)を支配下に入れた源頼朝は、
ここに奥州総奉行(おうしゅうそうぶぎょう)を設置するのです。

ちなみに、藤原泰衡の首は、平安時代(18)でもご紹介したように、
奥州藤原氏3代のミイラとともに、中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)におさめられています。

藤原清衡(ふじわらのきよひら)・藤原基衡(ふじわらのもとひら)・藤原秀衡、そして藤原泰衡。
奥州藤原氏4人の名前は、これで覚えてしまいましょう!

鎌倉1-4.jpg

1190年11月、源頼朝が上洛し、
朝廷から右近衛大将(うこのえたいしょう、または、うこんえのだいしょう)に任命されます。

朝廷の警護などを担当する近衛府(このえふ・こんえふ)は、
左近衛府(さこのえふ・さこんえふ)と右近衛府(うこのえふ・うこんえふ)に分かれているのですが、
そのうち右近衛府の長官を、右近衛大将、略して右大将(うだいしょう)といいます。
これは、朝廷における武官の最高位です。

しかし、朝廷の警護を担当するだけあって、右近衛大将は常に京都にいなければなりません。
鎌倉を本拠地としたい源頼朝は、10日あまりでこれを辞職してしまいます。
すぐに辞めてしまったとしても、源頼朝にとって「右近衛大将に任命された」という事実があれば、
自身を権威づけるには充分なのです。

さっそく鎌倉に戻った源頼朝は、1191年正月、公文所を政所(まんどころ)と改称します。
政所とは、従三位(じゅさんみ)以上の公卿(くぎょう)などが開設できる家政機関です。
すでに従二位(じゅにい)という位階にあってその権利を得ていた源頼朝が、
ここで政所をひらくことで、鎌倉幕府にさらなる正当性をもたせようとしたのかもしれません。

1192年3月、後白河法皇が病気のためこの世を去り、
その後1192年7月、源頼朝は後鳥羽天皇(ごとばてんのう)から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)、
略して将軍(しょうぐん)に任命されます。
これにより、名実ともに鎌倉幕府が成立するのです。

プリントの冒頭には、鎌倉時代を1185年頃~1333年と表記しています。
鎌倉時代のはじまりは、
1183年の寿永二年十月宣旨とするか、
1185年の守護・地頭の設置とするか、
1192年の征夷大将軍任命とするか、ナドナドさまざまな説があります。
なので、「鎌倉時代がはじまった年を答えよ」なんて問題が出ることは、まずないでしょう。

では、最後に解答を載せておきますね!

鎌倉1解答①.jpg

いや~、ようやく完成しましたね!
ほんと3回にわたってややこしかったですね…お疲れさまでした。

今日出てきた鎌倉幕府の支配機構の枠は、解答のように同じ色で色分けしておいてください。
鎌倉時代(2)以降でも鎌倉幕府の支配機構を取り上げてゆくので、分かりやすくなりますよ!



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佐々木

はじめまして。
四年前にこのサイトを見つけてから、仕事に行き詰まった時に楽しく拝見させていただいています。
かわいいイラストで、内容も面白く、これからの教育にはこの春之助さんのようなイラストが絶対に必要になってくると感じています。
実は私、中学校で教師をしているのですが、春之助さんのイラストを授業で使用させていただくことは可能でしょうか?
御連絡の方法が分からず、コメント欄にて失礼しました。
by 佐々木 (2021-03-12 06:28) 

春之助

佐々木様
コメント、ありがとうございます!
4年前から読んで頂いているとのこと、嬉しく思います!
そのときから更新があまり進んでいなくてすいません…(汗)

さて、当ブログのイラストの二次利用については、PC版のトップページの左側にあるメールフォームから改めてご申請くださいますようお願いいたします。
by 春之助 (2021-03-12 14:22) 

ゆうたん

はじめましてこんにちは。
この春から高校3年生になるものです。
最近このサイトを知り、楽しく日本史を学ばせて頂いています。
急かせているわけではないですが、、
この一年でどのくらいの範囲まで更新される予定でしょうか?
回答よろしくお願いします、、。
by ゆうたん (2021-03-21 10:26) 

春之助

ゆうたん様
コメント、ありがとうございます!
いよいよ高校三年生なんですね…実りの多い1年になりますように。
さて、この1年でどれくらい更新できるか、というご質問ですが…
もっぱら子育て中でなかなか執筆の時間が取れず、とくに春休みや夏休みなんかはまったく時間が取れない状況です…
月に1回の更新を目指しているので、うまくいけば今年度中に室町時代くらいまで書けるかもしれませんが、お約束はできません…
ほんとうにのろのろ更新で申し訳ありませんが、
ゆうたん様が日本史を復習されるときのお手伝いができれば幸いです!
なんとか書き進めて参りますので、ゆうたん様も頑張ってくださいね☆
by 春之助 (2021-03-24 21:44) 

けいらん

春之助さんのブログで日本史の偏差値80超えました!!これからも使わせていただきます。
by けいらん (2021-04-03 15:35) 

春之助

けいらん様
ははは80ですか!!
それはすごいです!!!
けいさん様の努力の賜物ですね☆
これからもけいらん様の勉強のお手伝いができるよう、頑張りますね!
by 春之助 (2021-04-04 14:16) 

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