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鎌倉時代(4) [まとめプリント]

今日は、鎌倉時代(3)の続きを見ていきます。
承久の乱(じょうきゅうのらん)のあと、3~5代目の執権(しっけん)による政治をまとめますよ☆

鎌倉4.jpg

最初に取り上げるのは、
2代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)の息子である北条泰時(ほうじょうやすとき)です。

北条泰時は、1221年の承久の乱において、
オジサンの北条時房(ほうじょうときふさ、北条義時の弟)とともに大軍を率いて京に攻めのぼり、
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)サイドに勝利します。
2人はそのまま京にとどまって戦後処理にあたり、
初代・六波羅探題(ろくはらたんだい)となって朝廷の監視などにつとめます。

甥っ子&オジサンコンビ、大活躍です☆

その後、1224年にお父さんの北条義時が急死したため、
北条泰時は鎌倉に戻って3代目の執権に就任します。
40歳を迎えて間もない北条泰時が、豊かな政治経験をもとに、いよいよ執権として駆けだすのです!

ところが!
そんな矢先!!

1225年に鎌倉幕府の重鎮である大江広元(おおえのひろもと)と北条政子(ほうじょうまさこ)が相次いでこの世を去ってしまいます。

執権に就任したばっかりなのに、オオモノが次々と亡くなっちゃって大ピンチ!
かと思いきや…

北条泰時は、オオモノたちの死をきっかけに、
強力なリーダーが政治を主導するスタイルではなく、
みんなで鎌倉幕府を動かしてゆくスタイルを目指しはじめます。

オオモノがいなくなった今だからこそできる改革に着手したとゆーワケです!
さすが政治経験値の高いアラフォー執権の北条泰時です!!

1225年、北条泰時は改革の手始めとして、オジサンの北条時房を鎌倉に呼び戻し、
執権の補佐役である連署(れんしょ)に任命します(1224年の執権就任時に置いたという説もアリ)。
ちなみに、連署という役職名は、鎌倉幕府が出す命令文とかに、執権と並んで名で名することに由来します。

甥っ子&オジサンコンビ、再結成ですね☆
北条泰時と北条時房、この2人はコンビで覚えておきましょう!!

鎌倉4-1.jpg

北条泰時の相方は、フサフサの北条時房ってことで覚えちゃいましょう!
(北条時房がフサフサだったかどーかは知りません!笑)

さらに北条泰時は、有力御家人や政務にすぐれた者のなかから11人を選び出し、
評定衆(ひょうじょうしゅう)に任命します。
評定衆は、執権・連署とともに政所(まんどころ)に集まって重要なコトを決定するメンバーなのですが、
この執権1人+連署1人+評定衆11人の合計13人で構成される鎌倉幕府の最高決裁会議を、
評定(ひょうじょう)と呼びます。

13人の会議といえば…十三人の合議制(じゅうさんにんのごうぎせい)ってのがありましたねー!
評定はそれをモデルに始まったのかもしれません。
ただし、評定衆の人数は14~15人に増えたりするので、評定の構成メンバーは13人とは限りません。
それから、評定衆に選ばれるのはたいてい北条氏の一族です。

このように、3代執権の北条泰時は、連署を設置したり、評定衆を任命して評定をひらいたりして、
みんなで鎌倉幕府を動かしてゆくスタイルを確立してゆきます。

ちなみに、1226年に藤原頼経(ふじわらのよりつね)、または九条頼経(くじょうよりつね)が鎌倉幕府の第4代将軍に任命されますが、評定には呼ばれません。
あくまでも評定のトップは執権なのです。

もしかしたら…北条泰時は、将軍による専制政治を防ぐために、
あらかじめ執権を頂点とする合議システムを作っておいたのかもしれませんね…

このほか、北条泰時がおこなったことといえば…

アレです!
アレアレ!!

1232年の御成敗式目(ごせいばいしきもく)、または貞永式目(じょうえいしきもく)の制定です!!
これは大事ですよ~、詳しくはゴロ合わせを読んでくださいね☆

御成敗式目ができて、これで安安泰★
ってことで、制定したのは北条時であることを覚えちゃいましょう ♪

御成敗式目制定から10年後の1242年、北条泰時は病気のためこの世を去ってしまいます。



北条泰時の嫡男(ちゃくなん)は、若くして亡くなったため、
4代目の執権には、その嫡男の息子である北条経時(ほうじょうつねとき)が就任します。
北条泰時にとっては、孫にあたる人物です。

北条経時は、このとき満19歳です。
政治経験の乏しいワカゾーが執権に就任したことを1つのきっかけに、
北条氏の執権政治に不満を持つ者たちが、将軍・藤原頼経のもとに集うようになります。

満1歳で鎌倉にやってきて、満7歳で元服(げんぷく)して将軍となった藤原頼経も、すでに満26歳。
立派なオトナになったものの、評定に呼ばれることもなく、鎌倉幕府から絶賛ハブられ中です。

そんな将軍・藤原頼経が、
執権のワカゾーよりオニイサンだし、官位も高いし、血筋もいいし、朝廷とのパイプもあるし…で、
反北条のシンボルとしてかつがれるようになるのです。

これを危険と判断した北条経時は、1244年に藤原頼経を将軍の座から追いやってしまいます。
かわって将軍となったのは、藤原頼経の息子である満4歳の藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)、または、九条頼嗣(くじょうよりつぐ)です。
ウン、執権のがだいぶオニイサンだから安心だね☆(笑)

しかし、ほどなく北条経時は体調を崩してしまい、
1246年に執権の座を弟に譲るやいなや、この世を去ってしまいます。

*   *   *

5代目の執権は、満18歳の北条時頼(ほうじょうときより)です。
これまたワカゾーが執権に就任したことで、
反北条勢力は、鎌倉にとどまっていた前将軍・藤原頼経のもとに再び集いはじめます。

そこで北条時頼は、藤原頼経を京都に強制送還し、
彼のもとに集まっていた反北条勢力を処分してしまいます。

さらに、1247年の宝治合戦(ほうじがっせん)で有力御家人の三浦泰村(みうらやすむら)の一族を滅ぼし、
北条氏の地位を不動のものとするのです。

その後、1249年に引付衆(ひきつけしゅう)を設置し、
御家人たちの所領にまつわる訴訟を専門に担当させて、公平で迅速な裁判制度の確立を目指します。

また、このころの鎌倉幕府は、朝廷に大きな影響力を及ぼせるほどに成長しており、
北条時頼は1246年、朝廷に政治の刷新と制度の改革を要求します。
院政をおこなう後嵯峨上皇(ごさがじょうこう)は、この求めに応じて、
鎌倉幕府にならって院に評定衆を設置します。

そして、とある陰謀へのかかわりを疑われた藤原頼嗣を京都に送還し、
1252年、後嵯峨上皇の息子である宗尊親王(むねたかしんのう)を鎌倉幕府の第6代将軍として迎えるのです。

以後、皇族出身の将軍が4代続きますが、
彼らをまとめて皇族将軍(こうぞくしょうぐん)とか、親王将軍(しんのうしょうぐん)とか、宮将軍(みやしょうぐん)と呼びます。
皇族将軍ももちろん評定には呼ばれず、実権はありません!

このように、北条時頼は独裁体制を確立するのです。

では、最後に解答を載せておきましょう!

鎌倉4解答.jpg

空欄2の執権・空欄4の評定衆・空欄5の評定・空欄23の引付衆の枠線がそれぞれ水色で囲まれているのは、鎌倉時代(2)によるものです。
承久の乱のあとに設置されたものを、しっかり色分けしておいてくださいね~!!



次回は、鎌倉時代(5)のまとめプリントです。
武士の生活などをまとめていきますよ★

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tomi_tomi

いつもわかりやすい纏め方で素晴らしいです!!
by tomi_tomi (2021-11-23 01:24) 

rekishi64morisen

大河ドラマを見て、この時代について調べていたところ、たまたまこのブログに行きつきました。
もしかすると春之助さんの教え子な気がします、、、(伽藍配置をあの学校で覚えたり)
中学1年の時に学んだプリントのイラストにとても似ていて、よくそのプリントにぬり絵のように色を塗ってカラフルにした記憶があります、、、
イラストが可愛く勉強のやる気が出て日本史好きになりました
by rekishi64morisen (2022-02-13 21:08) 

春之助

rekishi64morisen様
伽藍配置のくだり…それはもう…教え子さんで間違いありません…
どうもご無沙汰しています、教壇をおりて今は細々とこんなブログを書いております。
大河ドラマからこのブログにたどり着き、中1のプリントを思い出してもらえたこと、本当に嬉しいです☆

by 春之助 (2022-02-13 22:32) 

rekishi68morisenblue

やはり先生でしたか!!うれしいです!!
たまたま調べてたら画像に見覚えのあるイラストがでてきまして・・・
中一は、今から10年前ぐらい?になるのですが、イラストを見て一瞬であの時のことを思い出しました
先生、コロナ禍ですがご自愛くださいませ
by rekishi68morisenblue (2022-02-14 14:43) 

春之助

rekishi68morisenblue様
10年も前の記憶がパソコンの画像からよみがえったとは…本当にありがたいことです…
PC版のトップページにあるブログメールから、また近況などお聞かせくださいな☆
by 春之助 (2022-02-15 14:06) 

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