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鎌倉時代(5) [まとめプリント]

今日は、鎌倉時代(5)のまとめプリントです。
鎌倉時代の武士について、イロイロ見ていきますよ~★

鎌倉5.jpg

まずはプリントの左側、武士の生活です。

①住居

中世の武士が住む家のことを、館(やかた、または、たち)と呼びます。
プリントには、河川に近い微高地(びこうち)に建てられることが多い、とありますが、
この時代の武士が家を構えるのは、川の近くの小高い場所がベストなのです。

なぜなら、川の近くは日常生活や農業に必要不可欠な水を手に入れるのに便利だし、
小高い場所は敵の襲来に気付きやすいうえ、もしものときには防御しやすいからです。

ここで、「一遍上人絵伝」(いっぺんしょうにんえでん)に描かれている館を見てみましょう。
教科書に出てくるワードはあらかじめ書き入れてあります。
(「一遍上人絵伝」については、のちのち鎌倉文化のまとめプリントでご紹介します)

館(文字あり).jpg

「一遍上人絵伝」は、時宗(じしゅう)をひらいた一遍(いっぺん)を描いた絵巻物なのですが、
もうねー、いろんなところに一遍が描かれているんですよ。
なので、ここにも一遍!そこにも一遍!!あそこにも一遍!!!と、ついつい一遍探しに夢中になってしまいます(笑)

ちなみに、上の場面にも一遍が2人描かれています。

黒い衣を着た丸坊主で猫背の男性なのですが…

見つかりましたか?

正解はコチラ。

館(一遍文字あり).jpg
(便宜上、2人の一遍をそれぞれ「一遍1」・「一遍2」とします)

いましたねー、一遍!!
では、一遍探しが終わったところで、館の様子を見ていきましょうー!!

館の周りは、堀(ほり)や板塀(いたべい)・土塁(どるい)などで囲います。
堀は溝のこと、板塀は板で作った塀のこと、土塁は土を盛り上げて作った壁のことですよ、念のため。
絵を見ると、堀と板塀で館を囲っている様子が分かりますね~(竹やぶの部分もアリ)。

また、館の入口には、監視・防御の場であり、かつ倉庫でもある矢倉(やぐら)を設置します。
「一遍2」が出ていこうとしている玄関の門の上にある、屋根のない小部屋がそれです。
この矢倉で、日頃は敵が襲って来ないか見張りをおこない、
もし敵が襲ってきたときには、そこに保管してある矢を放ったりして応戦するのです。

館の周囲は、堀・板塀・土塁・矢倉などでぐるりと守られていることが分かりましたね~。

次に、館の建物を見てゆきましょう。

「一遍1」と立ち話をしているのが、この館の主人なのですが、
主人やその家族が生活する建物を、母屋(おもや、主屋と書いてもOK!)と呼びます。
絵をよく見ると、母屋は板敷き(いたじき、フローリングのこと)で、畳を敷いている部分もあることが分かります。

ほかには、母屋の右側に、馬を飼育する厩(うまや)と、武芸の訓練をおこなう馬場(ばば)があるのが確認できます。
武士は、自分ちの厩でマイホース(ホースは馬ですよ!)を飼っていて、
いざというときに備えて、常日頃から馬場で馬に乗って戦う訓練に励んでおるのです。

ちなみに、母屋と馬場の間には鷹(たか)が描かれていますねー。
どうやらここの主人は、狩りで活躍する鷹も飼育しているみたいです。

それから、絵には描かれていませんが、館には侍(さむらい)という建物もつくられます。
これは、主人の家臣である郎従(ろうじゅう)たちの詰め所です。

さて、館のまわりはというと、基本的には田んぼが広がっています。
呼び方はイロイロで、佃(つくだ)とか、正作(しょうさく)とか、用作(ようさく)と呼んだり、
門田(かどた)と呼んだりします(呼び方の違いは気にしなくてヨイでしょう…)。
いずれも年貢(ねんぐ)や公事(くじ)のかからない直営の田んぼで、家族や下人が耕作します。

さらに武士たちは、近くにある荒れ地の開発もすすめ、その土地の地頭になります。
そして、農民から徴収した年貢を国衙や荘園領主におさめ、
それとは別に徴収したものを、加徴米(かちょうまい)として自らの収入にするのです。

②一族の結合

武家社会における一族の結合体制を、惣領制(そうりょうせい)と呼びます。
一族の構成メンバーは以下の通りです。

・惣領(そうりょう)、または、家督(かとく)
…一族の宗家(そうけ)のリーダー
 宗家とは、一族の中心となる家筋のことで、本家(ほんけ)とも呼びます
・嫡子(ちゃくし)
…惣領制において家督を相続する子ども、つまり跡継ぎ
 ちなみにこの時代、嫡子になるのは長男とは限りません
 お母さんの血筋や立場(正式な奥さんかどうか、など)がめっちゃ影響します
・庶子(しょし)
…嫡子以外のもの

この時代、一族における惣領の立場はとにかく絶対です。

鎌倉幕府との主従関係は、惣領が一族を代表して結びますし(庶子は、惣領を通じて結ぶのみ)、
いざという戦時には、惣領が庶子を率いて鎌倉幕府のために戦います。
軍役や課役も惣領が一括して引き受け、惣領がそれらを庶子たちに割り当てます。
あと、先祖の祭や一門の氏神(うじがみ、たいてい館の近くに祀ってある)の祭祀を主宰するのも惣領の役割です。

鎌倉幕府は、惣領を通じてそれぞれの一族を支配する体制をつくりあげるのです。

③相続形態

鎌倉時代の相続形態は、一族のみんなで分け合う分割相続(ぶんかつそうぞく)です。
といっても、分け前は均等ではありません。
次の惣領となる嫡子が一番たくさん相続し、のこりを庶子たち(女子もふくむ)で分け合います。

でもこれを何代も何代も続けてゆくと…
土地の細分化(さいぶんか)が進んでしまいます。

そこで、女子の相続した所領には、本人一代限りの領有しか認めず、死んだら惣領に返還する、というシステムが適用されるようになります。
これを一期分(いちごぶん)といいます。

一期分は、やがて女子に限らず広く適用されるようになり、
鎌倉時代末期には、嫡子(次の惣領)が一人で相続する単独相続(たんどくそうぞく)に移行します。
分割相続 → 単独相続、この順番はしっかり理解しておきましょう☆

鎌倉5-2.jpg

ちなみに、分割相続では一族の結合は強まる傾向にありますが、
単独相続だと庶子たちの不満が募り、惣領の座をめぐって兄弟たちが争う、なんてことも起こります…

④武芸の訓練

前述の通り、武士たちは常日頃からマイホースに乗って戦う訓練にはげんでいます。
とくに訓練をしたのが、次の3つです。
・流鏑馬(やぶさめ)
…走る馬にまたがりながら、3つの的(まと)を順番に射る武芸
 このとき用いる矢は、先端近くにカブみたいな形のパーツをつけた鏑矢(かぶらや)というもので、
 射るとカブにあけられたいくつかの穴に風が通ってものすごい音が鳴るんだとか 
 鏑矢を使うから鏑の漢字が入っておるわけですが…いやホント読めないし書けませんよね…(泣)
 ちなみに、神事として流鏑馬をおこなう神社もあるので、目にする機会があるかもしれません
 鎌倉5-1.jpg
 ↑ これは京都の下鴨神社(しもがもじんじゃ)でおこなわれた流鏑馬神事の写真です
  2003年に撮影した写真なので…たいへん…古いです…
 流鏑馬2(文字あり).jpg
 ↑ 四角い的に向かって鏑矢が放たれた瞬間をとらえた写真なのですが…
  見物客が多すぎて見えねェェェ!!ス、スミマセン…
  それにしても…密ですよねー…コロナ禍の今では考えられないギュウギュウっぷり…
  そしてデジカメとケータイのビジュアルに歴史を感じます…
  でも流鏑馬のビジュアルは、きっと鎌倉時代から変わっていないのだ
・笠懸(かさがけ)
…走る馬にまたがりながら、30mくらい離れたところにセットした的を射る武芸
 もともとは、射る人の笠を木に懸けたものを的にしていたようですが(だから笠懸)、
 このころには、丸い板に革を張ったものを木枠にぶら下げて的にしていたんだとか
 笠懸(文字あり).jpg
 (絵巻物「男衾三郎絵巻」(おぶすまさぶろうえまき、鎌倉文化で紹介予定)より)
・犬追物(いぬおうもの)
…囲いのなかに犬を放ち、それを馬上から射る武芸
 犬を傷つけない特殊な鏑矢を用いるとのことですが…
 そうは言っても…ねぇ…
 ということで、現在はおこなわれておりません
以上の流鏑馬・笠懸・犬追物の3つをまとめて騎射三物(きしゃみつもの)と呼びます。
ほかには、広い原野でシカやイノシシなどの獣を大人数で追い込んで射る巻狩(まきがり)も行われました。

それからそれから…

武士とは、武勇を重んじ、我が身を犠牲にしてでも主人に尽くし、一門・一家の誉(ほま)れを尊ぶ精神をもち、恥を知る態度をもつ者たちであったようです。
彼らの日常生活のなかから生まれる道徳は、「武家のならい」とか「兵(つわもの)の道」とか「弓馬(きゅうば)の道」などと呼ばれ、後世の武士道(ぶしどう)の起源になったと考えられます。

また、武士の生活が質素で簡素であったことを伝える2つのお話を紹介しておきましょう。

源頼朝(みなもとのよりとも)のもとに、オシャレが大好きな藤原俊兼(ふじわらのとしかね)という家来がいました。
あるとき、着物をいっぱい重ね着してコーディネートを楽しんでいたところ、
源頼朝から「お前は才能があるのに倹約を知らない、ぜいたくをヤメロ」と言われ、刀で袖を切りとられたんだとか。
たまにハデハデな武士がいると、ガチで叱られるようです(笑)

もう1つは『徒然草』(つれづれぐさ)に収録されているお話。
ある夜、北条の一族である大仏宣時(おさらぎのぶとき)が、
北条時頼(ほうじょうときより)から「いまからウチに飲みに来いよ」と誘われます。
着ていく服を探していると、「夜なんだし服装なんかどうでもいい、早く来い」と矢の催促。
あわててテキトーな服をまとい、急いで北条時頼の家に行くと…
「この酒を一人で飲むのは淋しいから呼んだのだ。家の者はみんな寝ているから…台所にナニかおツマミになるものがないか探してこい」と言われます。
大仏宣時は台所へゆき、小皿についていたお味噌を発見します。
北条時頼は「これでじゅうぶん ♪」と言い、2人はそれをおツマミにしてお酒を酌み交わしたんだとか。

いや…ちょっと…淋しいからって夜に呼び出しといてヒドくない?
そこあんたのウチやん、大仏宣時が来るまでおツマミ探す時間あったやん…と突っ込みたくなります…

んが!
ここでは「小皿についていたお味噌をツマミにお酒を飲んだ」という武士の質素さを感じ取っていただきたいデス!!(でもすごく突っ込みたい)



続いてプリントの右側にうつりましょう。
武士の土地支配についてです。

①紛争の発生

1185年、鎌倉幕府は荘園・公領ごとに地頭を設置します。
といっても、まだまだ西日本は朝廷の力が強いので、東日本が中心です。

その後、1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)をきっかけに、
鎌倉幕府の支配権は全国に広がり、西日本にも地頭が設置されるようになります。

するとねー…
まぁーモメるんですよ、これが。

だって鎌倉幕府から派遣されたヤツが、いきなりその土地の地頭になるワケですよー。
しかも、おのれの支配権を広げる気まんまんなうえ、
風水害とかを理由に、年貢を滞納したり、横領したりする地頭まで現れる始末。

うん、モメないはずがナイ!!!(笑)

そこで鎌倉幕府は、1232年に御成敗式目(ごせいばいしきもく)を制定したり、
1249年に引付衆(ひきつけしゅう)を設置したりして、モメごとに対処します。

といっても、追いつかないんですよねーーーー…
鎌倉幕府は、なるべく当事者間で紛争を解決する和与(わよ)を推奨します。

②紛争解決の手段

和与には2つのパターンがあります。

・地頭請(じとううけ)、または、地頭請所(じとううけしょ)
 荘園・公領の領主が、地頭に荘園の管理いっさいを任せるかわりに、
 毎年一定額の年貢納入を請け負わせる制度
 領主のメリットは、その年が豊作・凶作にかかわらず、一定額の収入を確保できるところです
 一方、地頭は、凶作のときのリスクは負うものの、
 領主に一定額の年貢さえ納めれば、残りはすべて自分のものにできるというメリットがあります

・下地中分(したじちゅうぶん)
 地頭と荘園領主で荘園を分割して相互の支配権を確認し、
 以後はお互いに侵略しないことを約束する制度
 もう地頭とモメたくない!めんどくさい!!こっちのことはほっといてくれ!!!てことですね~
 次の地図を見てください
 赤い線を引いて領家(りょうけ、荘園領主のこと)分と地頭分に折半していることが分かります
 下地中分.jpg
 境界線を緑色でなぞって分かりやすくしてみました
 赤丸には「領家分」、青丸には「地頭分」と書いてあります
 下地中分(文字あり).jpg
 
地頭請や下地中分がおこなわれた結果、地頭は所領における支配権をますます強めます。
それはゆくゆく荘園公領制の崩壊につながってゆくのですが…
これについては、また改めて解説したいと思います。

こまごまと説明していたら長くなってしまいました…
そしてコロナ禍でブログを書く時間が全然つくれません…更新おそくてゴメンナサイ…

では、最後に解答を載せておきますね★

鎌倉5解答.jpg



次回は、文永の役(ぶんえいのえき)のゴロ合わせをお届けします★

ちなみに…すんごくどうでもよいことなのですが…
10年ほど愛用していた複合機をようやく買い換えた結果、
イラストが濃くスキャンされるようになりました…
ベタ塗りの部分のムラが見えなくなって嬉しい…それだけです(笑)

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【画像出典】
広報ふじさわ:http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kouhou/sumafo/khf-s150925/sisei19_s.html
wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/笠懸
      https://ja.wikipedia.org/wiki/下地中分

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tomi_tomi

今回も分かりやすい解説ですね!何気ない住居の絵もこれだけ詳しい解説があると何度も見直してました^^
by tomi_tomi (2022-02-14 15:02) 

春之助

tomi_tomi様
いつもありがとうございます!
by 春之助 (2022-02-15 13:30) 

ハマコウ

まとめられるのにどれだけの時間がかかったのかと想像してしまいます。わかりやすくお伝えいただきありがとうございます。
by ハマコウ (2022-02-16 04:53) 

春之助

ハマコウ様
ありがとうございます!
冬休みが終わったと思えば、コロナによる幼稚園の休園が続いたりで、ブログを書く時間がなかなかつくれず…気がつけばアップするまで3ヶ月近くかかってしまいました…
静かにパソコンに集中できる時間が、毎日1時間だけでもいいから欲しいです…(泣)
by 春之助 (2022-02-16 14:10) 

とかげ

いつも分かりやすい解説ありがとうございます。イラストも笑みがこぼれるような可愛い絵や、くすっと笑ってしまうような絵で大好きです!!日本史もっと頑張ろうという気持ちになります。
更新される日を楽しみにしています。
by とかげ (2022-05-09 18:17) 

春之助

とかげ様
嬉しいコメントありがとうございます☆
別件の仕事に追われていて更新が滞っておりましたが、間もなく再開の予定です!もうしばらくお待ちくださいませ~!!
by 春之助 (2022-07-05 22:24) 

丼ペン

家の子、郎党、庶子の違いがわからないので教えてほしいです!
by 丼ペン (2023-07-20 18:36) 

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