SSブログ

1297年 永仁の徳政令を出す [年号のゴロ合わせ]

平禅門の乱(へいぜんもんのらん)のあと、政治を主導するのは、
9代執権(しっけん)である得宗(とくそう)の北条貞時(ほうじょうさだとき)です。

彼にとってもっぱらの課題は、窮乏する御家人たちを救うことです。

そもそもなぜこのころの御家人がビンボーに苦しんでいるのかというと、
・元寇(げんこう)ですごく頑張ったのに、満足なゴホウビがもらえていない
・分割相続(ぶんかつそうぞく)の繰り返しで所領が細分化してしまった
・急速な貨幣経済の進展に巻き込まれてしまった
などが原因としてあげられます。

そんななか、1297年2月に彗星(すいせい)が観測されます。
この天体ショー、当時は不吉なことが起こる前触れだと考えられており、
為政者はその災いを避けるため、なにかよいことを行わなければなりませんでした。

そこで翌3月、北条貞時は窮乏する御家人たちを救うため、
永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)を出すのです。



まずは史料を見てみましょう。
これは3月に出したものをふまえて作った、より詳しい内容の法令です。

一、越訴(おっそ、裁判で敗れた者が判決を不服として再び訴訟を起こすこと)を停止(ちょうじ)すべき事(中略)
一、質券(しちけん)売買地(質入れや売買した土地のこと)の事
 右、所領を以(もっ)て或(あるい)は質券に入れ流し、或いは売買せしむるの条、御家人等侘傺(たてい、困窮すること)の基(もとい)なり。向後(きょうこう、今後)に於(お)いては、停止に従ふべし。以前沽却(こきゃく、売却すること)の分に至りては、本主領掌(りょうしょう、領有して支配すること)せしむべし。但(ただ)し、或いは御下文(おんくだしぶみ)・下知状(げちじょう、いずれも幕府が土地の譲渡・売却を認めた公文書のこと)を成し給(たま)ひ、或いは知行〔1   〕箇年を過ぐるは、公私の領を論ぜず、今更(いまさら)相違有るべからず。(中略)次に非御家人・凡下の輩(ぼんげのともがら、一般庶民のこと、具体的には〔2   〕をさす)の質券買得地の事。年紀(取得時効20年)を過ぐると雖(いえど)も、売主知行せしむべし。
一、利銭出挙(りせんすいこ、利息をつけて銭を貸すこと)の事
 右、甲乙の輩(すべての人ということ)、要用(どうしても必要なこと)の時、煩費(はんぴ、わずらわしい出費のこと)を顧みず負累(ふるい、借金して負債を重ねること)せしむるによって、富有(ふゆう)の仁は其の利潤を専(もはら)にし、窮困(きゅうこん)之族(やから)は弥(いよいよ)侘傺に及ぶか。自今(じこん)以後、成敗(せいばい、裁決すること)に及ばず。(以下略)
永仁五年(1297)七月廿二日 (「東寺百合文書」(とうじひゃくごうもんじょ)、原漢文)


空欄にあてはまる語句は、
 1…廿(にじゅう、20をあらわす漢字ですー)
 2…借上(かしあげ、高利貸し(こうりがし)のこと)
です。

この3ヶ条を訳してみましょう。

一、判決済みの訴訟の再審請求を受理しない事
一、質流れになったり、売買した土地の事
 右については、所領を質に入れて流したり、売却することは御家人たちが困窮するもとである。今後はこれを禁止する。以前に売却した土地については、本来の持ち主(御家人)に取り返させ、支配させよ。ただし、買ったあとに幕府から下文や下知状をもって公認されていたり、いまの持ち主がすでに20年以上その土地を支配している場合は、公領・私領にかかわりなく、今さら現状を変更することはしない。(中略)次に非御家人や高利貸が質流れや買い取った土地については、何年たっていようとも、売主の御家人が支配すべきである。
一、利息をつけて銭を貸す事
 これについて、だれでも金が必要なときは、わずらわしい出費を考えずに借金を重ねるので、金持ちは利潤をますます増やし、貧乏人はますます困窮するようになると思われる。今後、幕府はこの訴訟をいっさい取り上げない。

てな感じです。
それぞれの条文を簡単にまとめると、

□ 1条目:越訴の禁止
□ 2条目:御家人が所領を質に入れたり売却することを禁止
     すでに質に入れたり、売却してしまった所領は、もとの持ち主である御家人に返還する
     ※ただし条件つき
□ 3条目:御家人が関係する金銭の訴訟は受理しない

となります。

なかでも永仁の徳政令といえば、やっぱ2条目ですよねー!
貧しさのあまりお金にかえた所領がなんと返ってくる!!ってやつ!!!

ただ、さっきの2条目のところに「※ただし条件つき」って書いてるんですよねー。

そうなんです!
無条件で所領が返ってくるわけではないのです!!
いろいろ条件をクリアしないといかんのです!!!

ややこしいので、まずはイラストにしてみましょうー。

1297-1.jpg

情報詰め込みすぎでスミマセン…
順を追って見ていきますね。

あるとき、ビンボーに苦しむ御家人は、
先祖代々守ってきた所領を泣く泣く売ったり質に入れたりしてお金を工面(くめん)し、
家族や家臣を養い暮らしておりました。
(彼のことは、以降〔元の持ち主〕と表現します)

そんななか、1297年に永仁の徳政令が出されます!
条件を満たせば、泣く泣く手放したあの所領が〔元の持ち主〕のもとに戻ってくるとゆーのです!!

その条件は、〔元の持ち主〕から所領を手に入れた人物(以降、〔いまの持ち主〕と表現します)が、
御家人か、御家人じゃないか、
また所領を手放してから何年経っているか、
で変わってきます

①〔いまの持ち主〕が御家人の場合
・〔元の持ち主〕が所領を手放してから20年以上経過している⇒返ってこない!
 だって、〔いまの持ち主〕である御家人はもうかれこれ20年以上その所領を支配してるんですよ?
 それだけ長いこと支配してるんだから、その所領はそのまま〔いまの持ち主〕のもので決定!!
 ってことです。
・〔元の持ち主〕が所領を手放してから20年経っていない⇒返ってくる!!
 〔いまの持ち主〕がその所領を手に入れてからまだ日が浅いので、〔元の持ち主〕に返しましょう!
 ってことです。
つまり、御家人同士でやりとりをした所領は、それから20年たっているかどうかが分かれ道となるのです。

②〔いまの持ち主〕が御家人じゃない場合
・経過年数とか関係なし⇒とにかく返ってくる!!
 エーーーーーッッ!そんなんアリ!?って感じですよねーーーー…
 御家人を救済するための法令だからって、御家人じゃない人の冷遇っぷりがスゴい!!

いやーこれは不平等ですよねー…
モメる、ゼッタイにモメるやつ…

まずは〔いまの持ち主〕にその所領を手放してもらうための訴訟を起こすわけですが、
そんな訴訟がすんなり進むとは思えません。
そもそも〔元の持ち主〕からその所領を手に入れた人が、また別の人に売って、その人がさらにまた別の人に売って…とか繰り返してたら、本当の持ち主が誰なのかを特定することすら難しいワケです。

モメる、ゼッッタイにモメるやつ…

一応、〔いまの持ち主〕が20年以上その所領を知行(ちぎょう)している場合、
または〔いまの持ち主〕が知行していることを認める鎌倉幕府の公文書がある場合は、
返還の対象外と規定してはいるのですが…

おっそろしーほどの訴訟が鎌倉に押し寄せることになります!

やっぱりねーーーーッッ!!

1条目で越訴を禁止しているのは、それを見越してのことなのかもしれません…

ともあれ、永仁の徳政令は一部をのぞいて1298年2月に停止されてしまいます。
(もともと1年間だけの時限立法だった、という説もあります)

それでは、今日のゴロ合わせ。

1297年.jpg

次回は鎌倉時代(7)のまとめプリントです。
北条貞時の政治の復習と、得宗専制政治をまとめてゆきます☆



【参考文献】
近藤成一編『日本の時代史9 モンゴルの襲来』(吉川弘文館、2003年)

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。