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645年 大化改新がはじまる [年号のゴロ合わせ]

「大化改新(たいかのかいしん)」を簡単に説明しなさい、と言われればどう答えますか?
「蘇我氏をたおした事件」と答えると…残念ながらバツです。
正しくは「蘇我氏をたおしたのちに始まる一連の政治改革」です。

では、「蘇我氏をたおした事件」は何という名前だったでしょう?
正解は「乙巳(いっし)の変」ですね。

「乙巳の変」を起こしたのは、中大兄皇子と中臣鎌足です。
舒明天皇を父に、さらに皇極天皇を母にもつ中大兄皇子と、一般人の中臣鎌足。
二人の出会いはどういうものだったのでしょうか…



遣隋使として中国へ渡った南淵請安は、帰国後、中国で学んできたことを教えるため塾をひらきました。
そこに通ったのが中臣鎌足です。
彼はメキメキと頭角をあらわし、塾でイチニを争う秀才となりました。
その天才中臣鎌足から見て、当時の日本の政治はおかしいものでした。
天皇を頂点とする中央集権国家をつくるべきなのに、蘇我氏がものすごい力をふるっているわけです。
蘇我蝦夷と入鹿…この親子は邪魔だな…と中臣鎌足は考えるようになります。

でも、中臣鎌足一人では如何ともしがたい。
そこで、彼は協力者を探し始めます。
目を付けたのが、当時の天皇(皇極天皇)の息子である中大兄皇子です。

中大兄皇子も南淵請安先生の塾に通っていたのですが、あまりに身分が違いすぎてお近づきになれません。
中臣鎌足は中大兄皇子とお知り合いになるチャンスを求めてストーカーになります。

あるとき、中大兄皇子が飛鳥寺で蹴鞠(けまり、サッカーのようなものです)をしていました。
これを木陰から見つめる中臣鎌足…

こ…怖い…

そんなおり、中大兄皇子がボールを蹴ったはずみで靴を飛ばしてしまいました。
木陰にいた中臣鎌足は猛烈ダッシュ!!!
すかさず中大兄皇子の靴を拾って渡します。
それが二人の出会いでした。

645.jpg

以後、中臣鎌足は中大兄皇子と政治について議論するようになり、蘇我親子が邪魔だということで意見が一致します。
さらに、蘇我親子のことをよく思っていない蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ、長いよ…)も味方に引き入れようとします。
中大兄皇子は、蘇我倉山田石川麻呂の長女と結婚することにしたのです。
政略結婚によって、蘇我氏の内部から崩壊させようという魂胆ですね。
ところが、結婚直前になって長女が行方不明になります。
もしかしたらこの結婚をよく思っていない者が、長女をさらってしまったのかもしれません…
長女を失って絶望する蘇我倉山田石川麻呂…
そこにそっと次女が近づいてきて一言、「お父さん、かわりに私が嫁ぎましょう」。

次女…すごい…

ということで、この政略結婚は無事に(?)成立し、蘇我倉山田石川麻呂が味方につきました。

そして、いよいよ645年6月14日、朝鮮からの使者を迎える儀式の日。
もちろんこれに大臣であった蘇我入鹿も参列するので、
中大兄皇子と中臣鎌足はスナイパーを雇って蘇我入鹿を暗殺する手はずを整えました。

このとき、皇極天皇の前で朝鮮からの上表文を読んでいたのは蘇我倉山田石川麻呂です。
もうすぐイトコの蘇我入鹿が目の前で殺されるんだ…そう思うと怖くなり、冷や汗だくだく、全身ぶるぶるになります。
それを心配した蘇我入鹿は「ちょ…石川麻呂、大丈夫か?」と聞きます。
なんだよ、入鹿!案外いいヤツじゃないかよ!!

ところが、スナイパーがまさかまさかでチキってしまい、まったく動く気配がありません。
そこで飛び出したのが中大兄皇子です。
自ら蘇我入鹿に斬りかかります。

Irukaansatsuzu.jpg
(「多武峰(とうのみね)縁起絵巻」、談山(たんざん)神社蔵)

これは江戸時代に描かれたものなので、服装もろもろおかしいですが…
右側で刀を振り上げているのが中大兄皇子です。
そこに倒れ込んでいるのが蘇我入鹿、首が飛んでいるのが分かります。
この首、まさかまさかで600メートル飛んだそうです。
甲子園だったら特大の場外ホームランですよ、てゆーか屋根ぶちやぶったのかよ!ですね。
中大兄皇子さんにはぜひとも阪神の四番を任せたいところです。

話を元に戻しましょう。
奥に描かれた女性は皇極天皇です。
まさか実の息子が目の前で蘇我入鹿を殺害するなんてショックですよね…
彼女はこのあと弟に天皇の位を譲ることになります。
これが日本史史上はじめておこなわれた譲位(じょうい)例です。
今までは天皇が亡くなってから新たな天皇が即位していましたからね。

蘇我入鹿が暗殺された翌日、追い詰められた蘇我蝦夷は屋敷に火を放って自害します。
このとき、厩戸王(聖徳太子)と蘇我入鹿が編纂した『天皇記』と『国記』も燃えてしまいます。

これが「乙巳の変」です。
蘇我蝦夷の自害、蘇我入鹿の暗殺によって蘇我本宗家(ほんそうけ)が滅亡しました。
蘇我倉山田石川麻呂の家なんかは残っていますからね、滅んだのはあくまでも蘇我本宗家です。
ここから始まる一連の政治改革を「大化改新」と呼びます。

なお、息子の入鹿は暗殺、父の蝦夷は自害ですからね、しっかり覚えてもらうために
ここで今日のゴロ合わせ☆

645年.jpg

あ、入鹿は人間ですからね、念のため(笑)



次回は、中大兄皇子が天皇となる前後の様子を取りあげます。

画像出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%B3%E3%81%AE%E5%A4%89
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