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奈良時代(2) [まとめプリント]

前回に続き、奈良時代の政治の流れを見ていきましょう。



奈良2.jpg

様々な功績をのこした元明天皇は、自らの年齢を理由に譲位します。
元明天皇の孫にあたる男の子がまだ幼かったため、娘(文武天皇のお姉ちゃん)が天皇の座につき、
元正(げんしょう)天皇が誕生します。
実権は、引き続き藤原不比等が握ります。

藤原不比等の死後、権力を手にしたのは長屋王です。
この時代、百万町歩の開墾計画三世一身法といった土地政策がうちだされます。
詳しくは、それぞれゴロ合わせのページを参考にしてください。

長屋王の変によって長屋王がこの世を去ったあと、藤原不比等の息子たち4人が権力を握ります。
 長男 南家(なんけ)の武智麻呂(むちまろ)
 次男 北家(ほっけ)の房前(ふささき)
 三男 式家(しきけ)の宇合(うまかい)
 四男 京家(きょうけ)の麻呂(まろ)
まとめて藤原四子(ふじわらしし・ふじわらよんし)です。
妹の光明子(こうみょうし)を聖武天皇の皇后にしたのも彼らです。
しかし、天然痘(てんねんとう)によって彼らは次々とこの世を去ります。

次に権力を握ったのは、橘諸兄(たちばなのもろえ)です。
彼は、唐から帰国した吉備真備(きびのまきび)と玄昉(げんぼう)を重用します。
ほどなく、九州で藤原広嗣の乱が起こります。
藤原宇合の子である藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)が、吉備真備と玄昉を排除すべく反乱を起こしたのです。

これに驚いた聖武天皇は、引っ越しライフを開始します。
平城京を出て、恭仁京(くにきょう)・難波宮(なにわのみや)・紫香楽宮(しがらきのみや)をうろうろします。
そのさなかに出されたのが、国分寺建立の詔と、大仏造立の詔です。
国分寺・国分尼寺や大仏をつくることで国家の安泰をはかろうとしたわけです。
仏教の鎮護国家(ちんごこっか)の思想ですね。

なお、大仏造立の詔が出された年には、墾田永年私財法が発令されています。
公地公民制が崩壊し、荘園制が始まることとなります。

最後に解答を載せておきましょう。

奈良2解答.jpg

藤原四子は4色使って色分けしておくと、あとあと便利ですよ~♪



次回も奈良時代の政治の流れをおいましょう。
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