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710年 平城京に遷都する [年号のゴロ合わせ]

遷都(せんと)とは、都を遷(うつ)すことです。

2010年に奈良県で平城遷都1300年記念事業が開催されるにあたって、
「せんとくん」なるキャラクターが誕生し、その衝撃的なビジュアルが世間を賑わしました。
いまとなっては見慣れてしまって案外普通のキャラクターとして扱われていますね(笑)

そう、2010年から遡(さかのぼ)ること1300年。
710年に平城京遷都がおこなわれたのです。



それ以前の都は覚えていますか?
藤原京ですからね、念のため。

現在の奈良県におかれた平城京は、710年から784年にかけて都として機能しました。
おもにここ平城京に都が置かれた時代を奈良時代と呼びます。

では、平城京の様子を見てみましょう。

平城京.png

碁盤の目のように道路が作られていますね。
藤原京と同じ、条坊制の都です。

では、平城京のモデルになった都を答えることはできますか?

中国、唐王朝の都であった長安(ちょうあん)ですね。

都の中央を南北に朱雀大路(すざくおおじ)という大きな道路が走ります。

朱雀大路の南の端には、羅城門(らじょうもん)という大きな門が作られました。
ちなみに、有名な芥川龍之介の作品は『羅生門(らしょうもん)』ですので間違えないように。
この作品の舞台は、平安京の羅城門のようです。

朱雀大路の北の端には朱雀門(すざくもん)というこれまた大きい門が作られました。
現在、平城京跡に行くと復元された朱雀門の姿を見ることができます。
朱雀門の奥にあるのが天皇のいる平城宮(へいじょうきゅう)です。
なお、朱雀(すざく)というのは南方を守る神様で、立派な鳥の姿をしているんだそうです。

朱雀大路の東側(青色の部分)が左京(さきょう)、西側(ピンク色の部分)が右京(うきょう)です。
ん?左右ワケ分からんようになってきませんか??

中国では古来より、「皇帝は南を向いて座る」というきまりがあったそうです。
背中は北を向きますので、背中の「背」の漢字には「北」が乗っかっています。
これをふまえて、平城宮で天皇は南を向いて座りました。
南を向いた天皇から見て、左が左京、右が右京、というわけです。
自分を基準に考えてはなりません、天皇の目線を基準に左右を判断してくださいね。

710.jpg

ちなみに、天皇から見て左が太陽ののぼる方角になるので、右より左の方が優位と考えます。
左大臣の方が右大臣よりエライのはそういうことです。

左京の東側に張り出した部分(緑色の部分)が、外京(げきょう)です。
ここには興福寺や東大寺、元興寺といった名だたる寺院がたくさんあります。
現代でいう「奈良の観光地」は、この地域に集中しています。
遷都のとき外京は存在しなかったが、藤原氏がここに興福寺を建てたから外京ができた、という説もありますが、
近年の研究によると、平城京遷都の際に外京も一緒につくられたのではないか、という説が有力なんだそうです。

では、今日のゴロ合わせ☆

710年.jpg

「ナント見事な平城京」が世間では有名なので、あえてハズしてみました。



前回は和同開珎について述べましたので、次回はその続きとなるお話をしていきます。
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