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593年 厩戸王(聖徳太子)が摂政となる [年号のゴロ合わせ]

飛鳥時代のゴロ合わせを見ていきましょう。



さぁ!日本で最初の女性天皇って誰か覚えていますか?

これは簡単ですよね、推古天皇です。
女性天皇は推古天皇をはじめ日本史史上10例確認されています。

①推古天皇、②皇極天皇、③斉明天皇(皇極天皇と同一人物)、④持統天皇、⑤元明天皇、
⑥元正天皇、⑦孝謙天皇、⑧称徳天皇(孝謙天皇と同一人物)、⑨明正天皇、⑩後桜町天皇

⑨と⑩は日本史を学習するうえではマイナーなお方ですので、参考程度に見てください。

同一人物が2回天皇になっている例が2度あるので、女性天皇は合計8人です。
ちなみに、同一人物が2回天皇になることを何と言うか覚えてますか?
重祚(ちょうそ)です。
天皇の位につくことを践祚(せんそ)と言いますが、これを重ねるので重祚というわけです。

推古天皇は、日本に仏教が伝来したときの天皇である欽明天皇、彼をお父さんにもちます。
お母さんは、蘇我馬子のお姉さんです。
ということで、蘇我馬子にとって推古天皇は姪っ子にあたり、大臣として彼女を補佐しました。

もう一人、推古天皇を補佐した人物がいましたね。
推古天皇のお兄さんである用明天皇の息子、すなわち推古天皇の甥っ子にあたる人物、
そう、厩戸王(聖徳太子)です。

2才のとき、突然立ち上がって念仏を唱えてたら手からお釈迦様の骨が出てきたとか、
10人が一斉に話した内容をそれぞれ聞き分けられたとか(空気読んで一人一人順番に話しなさいよ…)、
未来を予言できたとか、馬で空飛んだとか…
ほんとかどうか分からないトンデモ伝説がたくさん残っている人物です。

ところで、彼がどんな顔をしていたか思い浮かびますか?
彼の肖像画は計7回と、最も多く紙幣の肖像として使用されました。
みなさんのおうちにも聖徳太子の一万円札とか残っているかも知れませんよ。
これはいまでも一万円としてちゃんと使用できます、まぁレジで怪訝な顔をされるでしょうけどね。

その彼について、最近、実在したとかしないとかいう議論がなされています。
さらに有名な肖像画についても、実は誰なんだか分からないという指摘までなされています。
んじゃ、昔の人は誰か分からん人の顔が描かれたお札を使ってたのか!って感じですね。
実在したという実証はできても、実在しなかったという実証はなかなか難しいのですけどね…
今後の研究を待ちましょう。

ともあれ、厩戸王(うまやとおう)という人物が実在したことは確かなので、
現在の教科書では、厩戸王(聖徳太子)という書き方をすることが多くなっています。

その厩戸王(聖徳太子)が、593年に推古天皇の摂政となります。
摂政とは、天皇が女性であったり幼い場合におかれる補佐官です。
摂関政治の時代に輝かしい活躍をして以降、教科書にはめっきり登場しなくなりますが、
実は王政復古の大号令で廃止されるまで続いた役職です。

彼が摂政としてどんなことをおこなったのかについては、次回以降で詳述していきます。

ここで、今日のゴロ合わせ。

593年.jpg



それでは、今日はここまで☆
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