701年 大宝律令を制定する [年号のゴロ合わせ]
ご無沙汰しています、久々の更新です。
ワタクシゴトですが、先月第一子を出産しました。
現代の進んだ医療技術をもってしても、なかなか出産とは大変なものでした。
旧石器時代とか縄文時代とか、一体どうやって出産していたんでしょうね。
改めて昔の人ってすごいなぁ…
こうやって歴史は続いてきたんだなぁ…
と感じました。
しばらくブログの更新は滞ると思いますが、ご了承ください。
さて、今日は律令(りつりょう)について見ていきましょう。
律令とは、律(りつ)と令(りょう)のことでしたね。
律は刑法、令は行政法・民法のような内容です。
これまでに登場した律令は覚えていますか?
まず、668年に中臣鎌足が編纂した近江令ですが、これは実在したかどうか疑わしいものでした。
次に登場したのが飛鳥浄御原令です。
天武天皇が編纂を開始し、奥さんの持統天皇が689年に施行したものです。
いずれも令のみで、律の完成には至っていないと考えられます。
律と令が初めて揃うのは、701年に成立した大宝律令(たいほうりつりょう)です。
文武天皇の命により、刑部親王(おさかべしんのう)と藤原不比等らが編纂しました。
刑部親王は天武天皇の息子で、忍壁親王(おさかべしんのう)と表記されることもあります。
藤原不比等はご存知、中臣鎌足の息子ですね。
次に編纂されたのは、養老律令(ようろうりつりょう)です。
元正(げんしょう)天皇の時代、718年に藤原不比等が編纂したようですが、
施行はなぜかしばらく経った757年、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)によってとなります。
これ以降、律令が編纂された形跡はありません。
そうすると、時代とともに律令を補足・説明する必要が出てきます。
格式(きゃくしき)の登場です。
格(きゃく)は、律令条文の補足・改正のために出された法令で、
式(しき)は、律・令・格の施行細則です。
これらをまとめたものが、三代格式(さんだいきゃくしき)で、
嵯峨天皇の時代に成立した『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』、
清和天皇の時代に成立した『貞観格式(じょうがんきゃくしき)』、
醍醐天皇の時代に成立した『延喜格式(えんぎきゃくしき)』を指します。
三代格式ですよ、「三大格式」ではありませんので注意してください!!
それから、養老令の注釈書が2つ作られています。
清原夏野(きよはらのなつの)らが編纂した官撰注釈書の『令義解(りょうのぎげ)』と、
惟宗直本(これむねのなおもと)らが編纂した私撰注釈書の『令集解(りょうのしゅうげ)』です。
ややこしいですが、まとめて覚えておきましょう。
それでは、今日の語呂合わせです。
ちなみに…大宝律令が成立したのは何世紀ですか?
そう、8世紀の最初の年ですよね。
8世紀は701年から800年までですからね~!
次回は、和同開珎についてのゴロ合わせです。
ワタクシゴトですが、先月第一子を出産しました。
現代の進んだ医療技術をもってしても、なかなか出産とは大変なものでした。
旧石器時代とか縄文時代とか、一体どうやって出産していたんでしょうね。
改めて昔の人ってすごいなぁ…
こうやって歴史は続いてきたんだなぁ…
と感じました。
しばらくブログの更新は滞ると思いますが、ご了承ください。
さて、今日は律令(りつりょう)について見ていきましょう。
律令とは、律(りつ)と令(りょう)のことでしたね。
律は刑法、令は行政法・民法のような内容です。
これまでに登場した律令は覚えていますか?
まず、668年に中臣鎌足が編纂した近江令ですが、これは実在したかどうか疑わしいものでした。
次に登場したのが飛鳥浄御原令です。
天武天皇が編纂を開始し、奥さんの持統天皇が689年に施行したものです。
いずれも令のみで、律の完成には至っていないと考えられます。
律と令が初めて揃うのは、701年に成立した大宝律令(たいほうりつりょう)です。
文武天皇の命により、刑部親王(おさかべしんのう)と藤原不比等らが編纂しました。
刑部親王は天武天皇の息子で、忍壁親王(おさかべしんのう)と表記されることもあります。
藤原不比等はご存知、中臣鎌足の息子ですね。
次に編纂されたのは、養老律令(ようろうりつりょう)です。
元正(げんしょう)天皇の時代、718年に藤原不比等が編纂したようですが、
施行はなぜかしばらく経った757年、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)によってとなります。
これ以降、律令が編纂された形跡はありません。
そうすると、時代とともに律令を補足・説明する必要が出てきます。
格式(きゃくしき)の登場です。
格(きゃく)は、律令条文の補足・改正のために出された法令で、
式(しき)は、律・令・格の施行細則です。
これらをまとめたものが、三代格式(さんだいきゃくしき)で、
嵯峨天皇の時代に成立した『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』、
清和天皇の時代に成立した『貞観格式(じょうがんきゃくしき)』、
醍醐天皇の時代に成立した『延喜格式(えんぎきゃくしき)』を指します。
三代格式ですよ、「三大格式」ではありませんので注意してください!!
それから、養老令の注釈書が2つ作られています。
清原夏野(きよはらのなつの)らが編纂した官撰注釈書の『令義解(りょうのぎげ)』と、
惟宗直本(これむねのなおもと)らが編纂した私撰注釈書の『令集解(りょうのしゅうげ)』です。
ややこしいですが、まとめて覚えておきましょう。
それでは、今日の語呂合わせです。
ちなみに…大宝律令が成立したのは何世紀ですか?
そう、8世紀の最初の年ですよね。
8世紀は701年から800年までですからね~!
次回は、和同開珎についてのゴロ合わせです。
ご出産おめでとうございます!
地味に時々覗かせて頂いています笑
分かりやすく、歴史の解説されているので凄いなぁと思っていますー
by フォレスト (2015-10-15 23:02)
コメント、ありがとうございます!
そろそろ更新を再開しようと思いますので、またどうぞ覗いてやってくださいませ★
よろしくお願いします(*^^*)
by 春之助 (2015-10-24 15:25)
とてもわかりやすかったです!!
by ?さん (2020-10-15 19:41)
?様
コメントありがとうございます!
これからもよろしくお願いします☆
by 春之助 (2020-10-16 22:52)
おはようございます。
大宝律令の語呂合わせを探していたらhitしました。
それにしてもすごい知識量ですね。勉強になります。
定年退職して、日本人はなぜ天皇が好きなのか気になりました。
調べると、大宝律令(701)にさかのぼるのではないかと考えて
います。1300年も遺伝子に書き込まれているので、「天皇陛下ばんざい」となると思っています。
ほぼ団塊の世代のジジより。
by ツネさん (2021-05-31 08:09)
ツネさん様
コメントありがとうございます!
定年退職されてから新たな疑問を見つけ、探求されておられるとのこと、心より尊敬いたします。
天皇制について、大宝律令が原点というお考えはおもしろい着眼点かと思います。今後、国をあげて様々な議論がかわされると思いますので、注目していきましょう!
by 春之助 (2021-06-01 22:10)