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949年 天暦の治がはじまる [年号のゴロ合わせ]

前々回前回と2回にわたり、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を取り上げました。
このときの天皇は、醍醐天皇(だいごてんのう)の息子である朱雀天皇(すざくてんのう)でしたね。

8歳で即位した朱雀天皇を支えたのは、摂政の藤原忠平(ふじわらのただひら)です。
やがて朱雀天皇が成人すると、藤原忠平は関白となります。



朱雀天皇の時代には、大変なことが次々と起こります。
承平・天慶の乱のほか、富士山の噴火をはじめ、地震・洪水などの天変地異が頻発するのです。
まさか菅原道真の怨霊のせいだとでもいうのでしょうか…

朱雀天皇は、子どもに恵まれなかったこともあり、早々に弟に譲位します。
村上天皇(むらかみてんのう)の誕生です。

村上天皇は、お兄ちゃんの時代に引き続き、藤原忠平を関白に任命します。
しかし、949年に藤原忠平が亡くなると、次の関白を任命することなく、親政を開始するのです。
といっても実際は、藤原忠平の息子である藤原実頼(ふじわらのさねより)が権力を握っていたようですが…

ではここで、平安時代の親政を、3つまとめて覚えておきましょう。

・宇多天皇の親政…寛平の治(かんぴょうのち)
・醍醐天皇の親政…延喜の治(えんぎのち)
・村上天皇の親政…天暦の治(てんりゃくのち)

いずれも当時の元号をとった呼び方です。
とくに醍醐天皇と村上天皇の親政はのちのち理想とされ、
「延喜・天暦の治」(えんぎ・てんりゃくのち)とまとめて呼ばれることがあります。

ちなみに、醍醐天皇・村上天皇親子の親政に憧れたのが、
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)・後村上天皇(ごむらかみてんのう)親子です。
天皇の名前を見ても明らかですね。

949.jpg

さて、天暦の治についてですが、
『後撰和歌集』(ごせんわかしゅう)の編纂や、『延喜式』(えんぎしき)の施行など色々ありますが、
覚えることはただ1つ!
乾元大宝(けんげんたいほう)の鋳造です。

これ、覚えていますか?
お金の名前ですよ!

和同開珎(わどうかいちん)にはじまる12種類の国産貨幣、ありましたよね?
まとめて本朝十二銭(ほんちょうじゅうにせん)とか、皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)といいます。
詳しくは711年のゴロ合わせで書きましたので、そちらをご覧下さい。

乾元大宝は、そのラストを飾る12番目の国産貨幣です。
といっても、このころ銅不足が深刻で、これは銅銭というより、もはや鉛(なまり)のお金です。
そんなこんなで国産貨幣に対する信用は失墜(しっつい)し、
人々は米などで物々交換をするようになります。

12世紀後半には、中国から貨幣を輸入するようになり、再び貨幣経済が広がってゆきます。
中国の貨幣はながらく流通し、国産貨幣の鋳造再開は17世紀を待たねばなりません。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

949年.jpg

949年は覚えるべき重要な年号ではありませんが、
天暦の治が10世紀なかばだった、ということを知ってもらうためにつくっておきました。



次回は、藤原北家による最後の他氏排斥事件、安和の変(あんなのへん)を取り上げます。
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