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988年 尾張国郡司百姓等解が出される [年号のゴロ合わせ]

10世紀、朝廷は税制の大転換をはかります。
従来の郡司にかわって、国司に税の徴収を請け負わせることにしたのです。
その結果、国司はより強力に、より自由に、それぞれの国を統治できるようになってゆきます。

このあたりの詳しいことは、のちのちまとめプリントでお話ししようと思いますので、
ここではまず、「国司は10世紀にとてつもない力を得るようになる」、ということを覚えてください。



では、ここで問題。
国司に選ばれるのは、どんな人でしたか?

答えは、中央貴族です。
国司は、都(中央)に住んでいる貴族のなかから選ばれるんでしたよね。
そうだっけ…?という人は、飛鳥時代(8)のプリントを復習してください。
あわせて、国司の四等官が守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)であることも確認しておいてくださいね。

国司に任命されると、都をはなれ、任国(にんごく、国司として任命された国のことです)で生活します。
そして、任期(このころは4年)が来るまで、国衙(こくが)でその国の統治にあたります。
なかでも、守(かみ)レベルの国司を、受領(ずりょう)といいます。
はじめて任国に到着したときに、前任の国司から引き継ぐべきものを「受領」することが由来のようです。

本来、国司は任国で暮らすものですが、
なかには任国におもむかない国司もいたようです。
目代(もくだい)という代理人を任国に派遣し、自らは平安京で都会暮らしを続けるのです。
そりゃね~、平安京に比べればどの国だってたいてい田舎でしょうよ。
友達もいっぱい、遊ぶところもいっぱい、そんな都会で暮らす方がきっと楽しかったのでしょう。

このように、国司に任命されたのに、任国におもむかないことを遙任(ようにん)、
その国司自身を遙任国司(ようにんこくし)、とか、遙任といいます。
ちなみに、「遙」は、「遥」の旧字体です。
「遙」(はる)かカナタに目代を「任」命して派遣する、と覚えてください。

遙任国司が増えるなか、真面目に任国へおもむくのが受領です。
都にとどまる国司が多いのに、わざわざ田舎に行くわけですよ。
そうするとね、「こんな田舎に来たからにはガッポリもうけてやる!」って思っちゃうんでしょうね!
やがて強欲な受領が目立つようになります。
そんな受領を、教科書などでは「貪欲」(どんよく)なんて難しい言葉で表現しています。
大阪弁で言うと、「ガメツイ」です!

では、ガメツイ受領の代表格を2名、ご紹介しましょう。

*   *   *

1人目は、信濃国の受領であった藤原陳忠(ふじわらののぶただ)です。

藤原陳忠は、信濃守(しなののかみ)の任期を終え、都に帰ろうとしていました。
美濃国にさしかかる峠を進んでいると、彼の乗る馬が足を踏み外してしまい、
なんと藤原陳忠は、馬ごと深い谷へと転落してしまったのです!
家来たちが「死んだかな…」と、しばらく谷底をのぞいていると、
「かごに縄をつけて降ろしてくれ~!」という藤原陳忠の声。
どうやら生きてたみたいです。
そこで、家来たちは言われたとおりにし、頑張ってかごを引き上げてみると…

そこには藤原陳忠が乗っていた…のではなく!
ヒラタケというきのこが、てんこ盛りに載っていたのです!!

えぇぇぇ…なにこれ……きのこやん………と、家来たちドン引き。
すると、谷底から「もう一回かごを降ろしてくれ~!」の声。
家来たちは再び言われたとおりにし、頑張ってかごを引き上げてみると…

今度はちゃんと藤原陳忠が乗っていました!
手に大量のヒラタケをかかえた藤原陳忠が!!

えぇぇぇ…めっちゃきのこ持ってるやん……と、家来たち再びドン引き。
そんな家来たちに向かって、藤原陳忠はキリッと一言!

「受領ハ倒ル所ニ土ヲツカメ!」

988.jpg

藤原陳忠は、谷底に落ちていく途中で木に引っかかったようです。
ほんとにそんな漫画みたいなことあるんですね…
で、ふとあたりを見渡してみると、なんと一面にヒラタケが生えているではないですか!
この「宝の山」をどうにかして手に入れようと、彼は先に述べたような行動をとったのです。

てゆーか、ガケの木に引っかかってるんですよ?
めっちゃ危機的状況じゃないですか!
早く助けてほしいじゃないですか!!
それなのに、おのれの身の安全の確保よりも、
この「宝の山」、すなわち「きのこの山」を絶対に持って帰る!という執念を優先させたわけです。

そう、受領はね…倒れてもタダじゃ起きてはいかんのです!
倒れたときに、そこにある土でもきのこでも、なんでもつかんで手に入れにゃぁいかんのです!!
それが、「受領ハ倒ル所ニ土ヲツカメ!」なのです。

いかに受領がガメツイか、よく分かるエピソードですね…
このエピソードの出典は分かりますか?
『今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)ですよ、お忘れなく!

それにしても、こんなことで教科書に名前が残ってしまうなんて…
なんだか恥ずかしいですね…

*   *   *

2人目は、尾張国の受領であった藤原元命(ふじわらのもとなが)です。

彼はあまりにもガメツイ受領であったため、任国にやって来て3年目の988年、
任国に住む郡司や百姓たちから訴えられてしまいます。
その訴状が、「尾張国郡司百姓等解」(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげ)です。
「尾張国郡司百姓等解文」(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげぶみ)と表記することもあります。

では、藤原元命がどれほどガメツイ受領であったのか、訴状を見てみましょう。
訴えは全部で31ヶ条ありますが、長いので一部分だけ紹介します。

〔1   〕国郡司百姓等解(げ)し申し、官裁(かんさい、太政官による決裁のこと)を請(こ)ふの事
 裁断(さいだん)せられむことを請ふ、当国の守(かみ)藤原朝臣(あそん)〔2   〕、三箇年の内に責め取る非法(ひほう)の〔3   〕、并(あわ)せて濫行(らんぎょう)横法(おうほう)三十一箇条の□□(愁状(しゅうじょう)カ)
一、裁断せられむことを請ふ、例挙(れいこ、定例の出挙のこと)の外に三箇年の収納、暗(そら)に以て加□(徴カ)せる正税四十三万千二百四十八束が息利(そくり)の十二万九千三百七十四束四把一分の事(中略)
一、裁定せられむことを請ふ、守〔2   〕朝臣、庁の務(まつりごと)無きに依(よ)りて、郡司百姓の愁(うれい)を通じ難(がた)き事(中略)
一、裁断せられむことを請ふ、守〔2   〕朝臣、京より下向(げこう)する度(たび)毎(ごと)に、有官(うかん、位をもち官職についている者のこと)・散位(さんに、位をもつが官職についていない者のこと)の従類、同じき不善の輩(ともがら)を引率(いんそつ)するの事(中略)
以前(さき)の条の事、憲法の貴きを知らむが為(ため)に言上すること件(くだん)の如(ごと)し。(中略)仍(より)て具(つぶ)さに三十一箇条の事状を勒(ろく)し、謹(つつし)みて解(げ)す。
 永延二年(988年)十一月八日 郡司百姓等  (出典「〔1   〕国解文」)

空欄にあてはまる語句は分かりましたか?
入試では、2行目にある「裁断せられむことを請ふ、当国の守…」の一文がよく出題されるので、
空欄はしっかり埋められるようにしておいてください。

 1…尾張
 2…元命(もとなが)
 3…官物(かんもつ、このころ租庸調制にかわって新しくもうけられた税のこと)

この訴状の内容を簡単に訳すと、次のようになります。

うちの国の受領である藤原元命が、この3年間に奪い取った非合法の官物と、彼のヒドい行動とについて、31ヶ条にまとめましたので、裁決をお願いします。
一(1条目)、定例の出挙のほか、43万1248束の稲と、12万9374束4把1分の利息が、こっそり余分にとりあげられました。
一(26条目)、藤原元命は、都にいるだとか、物忌(ものいみ、ナニかに取り憑(つ)かれたりして、屋内で謹慎すること)だとか、色んな理由をつけて国衙で政務をとらないので、郡司や百姓たちの嘆願が伝わりません。
一(30条目)、藤原元命は、都から帰ってくるたびに、よからぬヤツをいろいろ連れてきます。
以上、国家の法は貴く、またそれを破った者はきちんと処分される、ということを知るために言上しました。31ヶ条にわたって詳しく記し、謹んで申し上げます。

いや~…3ヶ条見ただけでもコレですよ。
あまりにヒドイ、訴えられて当然です。

結果、朝廷は郡司や百姓たちの訴えを聞き入れ、翌年、藤原元命を解任します。
ほんとザマァァ!!ですね。

藤原元命については訴状が残っていたため、このように詳しく知ることができますが、
きっと他の国にも、こんなガメツイ受領がいたのでしょうね…おそろしや……

ちなみに「解」(げ)とは、下級官庁から上級官庁へ申し上げる文書のことです。
逆に、上級官庁から下級官庁へ下される命令は、「符」(ふ)といいます。

988-2.jpg

たとえば、902年の語呂合わせで紹介した延喜の荘園整理令は、
「太政官符す」という文で始まっていますよね。
延喜の荘園整理令は、太政官から下された「符」なのです。
これを、太政官符(だいじょうかんぷ、または、だじょうかんぷ)といいます。

*   *   *

最後に、まとめておきましょう。

10世紀、国司が徴税を請け負うようになり、ガメツイ受領があらわれます。
代表者は次の2名です。
 ・信濃国-藤原陳忠(『今昔物語集』)
 ・尾張国-藤原元命(「尾張国郡司百姓等解」)
しっかりと区別して覚えておいてください。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

988年.jpg

988年は重要な年号ではありませんが、
「国司は10世紀にとてつもない力を得るようになる」ことを覚えてもらうために、
ゴロ合わせを作っておきました。

余談ですが、昔の日本には、下の名前を音読みする習慣がありました。
たとえば、源義経なら「ギケイ」、織田信長なら「シンチョウ」です。
彼らにまつわる書物を、『義経記』(ぎけいき)、『信長公記』(しんちょうこうき)と呼ぶのはそれゆえです。

というわけで、藤原元命を音読みすると「ゲンメイ」です。
尾張国郡司百姓等解は、「オワリ」・「ゲンメイ」で国名と受領の名前を覚えてくださいね!



次回は、藤原道長を取り上げます。
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最近このブログを見つけて拝見させていただいたのですが、とても面白くて可愛いイラストですね!!ファンになりました!
今年受験で日本史選択なのですが、ちょこちょこブログ見させていただきます!
by お名前(必須) (2017-10-04 22:58) 

春之助

嬉しいコメント、ありがとうございます!
更新が遅くて申し訳ありませんが、少しでも勉強のお役に立てれば幸いです。
受験勉強、頑張ってくださいね☆
by 春之助 (2017-10-05 23:13) 

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