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757年 橘奈良麻呂の変がおこる [年号のゴロ合わせ]

これまで、奈良時代の権力者として、

 藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄

と、順番に見てきました。
では、次に権力を握った人物は分かりますか?



奈良時代の権力者は順番に、

「ひどい(藤原不比等)長屋(長屋王)で4人の子ども(藤原四子)、
 モ(橘諸兄)ナカ(藤原仲麻呂)どう(道鏡)?100円(藤原百川)で…」

と覚えるんでしたよね。
そう、橘諸兄の次に権力を握ったのは、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)です。

ではその藤原仲麻呂。
なぜ権力を手にすることができたのでしょうか。

藤原仲麻呂のお父さんは、藤原四子の1人である藤原武智麻呂です。
このころすでに藤原武智麻呂はこの世を去っていますが、
彼の妹は、聖武天皇の奥さん、すなわち光明皇后として活躍中です。
その光明皇后からみれば、藤原仲麻呂はカワイイ甥っ子にあたります。

さらに、こののち聖武天皇は、光明皇后との間に生まれた娘に譲位し、孝謙天皇が誕生します。
藤原仲麻呂にとっては、イトコが天皇となったのです。

つまり藤原仲麻呂は、光明皇太后と孝謙天皇という偉大な親子の後押しを受けて、
どんどん力をつけていったのです。

こうなると、おもしろくないのが橘諸兄です。
彼はついつい飲み会で愚痴をこぼしてしまいます。
よっぽどストレスがたまっていたんでしょうね…
この飲み会での失言をきっかけに橘諸兄は朝廷を去ることとなり、翌年には亡くなってしまいます。

橘諸兄亡きあと、藤原仲麻呂はますます力をつけます。

藤原仲麻呂には結婚している息子がいたのですが、残念ながら若くして亡くなっています。
未亡人となったその奥さんは、のちに舎人親王の息子である大炊王(おおいおう)と再婚し、
なぜか藤原仲麻呂の家にお世話になっています。

なんと藤原仲麻呂は、自分を「父」と慕ってくれるこの大炊王を、無理矢理皇太子にしてしまいます。
皇太子というのは、次期天皇のことですよね。
ということは、自分の言いなりになってくれる天皇がもうすぐ誕生するわけです。

そんなやりたい放題の藤原仲麻呂を許せないのが、橘諸兄の息子である橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)です。
彼は同じ気持ちをもつ人々とともに、藤原仲麻呂を暗殺してしまおうとクーデターをくわだてます。
ところがすぐにバレてしまい、彼らは逮捕されています。
これが、757年におこった橘奈良麻呂の変です。

奈良時代は、前の権力者の子どもが今の権力者を排除しようとする、というパターンが続きますね。
ここでしっかりと整理しておきましょう。

757.jpg

さて、逮捕された橘奈良麻呂ですが、光明皇太后と孝謙天皇によって罪を赦(ゆる)され、釈放されます。

橘諸兄は光明皇太后の異父兄です。
すなわち、光明皇太后にとって橘奈良麻呂も実はカワイイ甥っ子なのです。
う~ん…ややこしい…

しかし、藤原仲麻呂としては自分を暗殺しようとした橘奈良麻呂たちを許すことはできません。
すぐさま彼らを再逮捕し、どんどん拷問をくわえます。
き藤原仲麻呂は実に443人を処罰し、橘奈良麻呂も拷問によって命を落としたと考えられます。
こんなにも大人数を処罰しないといけないって、よっぽど敵が多かったのでしょうねぇ…

さぁ自分に不満をもつ者を一掃(いっそう)することに成功した藤原仲麻呂はスッキリです。
翌年には大炊王を即位させ、ついに淳仁(じゅんにん)天皇が誕生します。
自分の言いなりになってくれる天皇のもと、藤原仲麻呂はますます権力をほしいままにしていきます。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

757年.jpg

なお、この年、藤原仲麻呂はおじいちゃんである藤原不比等が編纂した養老律令を施行しています。



次回は、権力の絶頂にあった藤原仲麻呂が凋落(ちょうらく)していく様子を取りあげます。
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