飛鳥時代(8) [まとめプリント]
久しぶりのまとめプリントです。
これから3回にわたって律令の中身を見ていきます。
まずは、律令にもとづく政治の仕組みを取りあげましょう。
中央、すなわち都には、「二官八省一台五衛府」(にかんはっしょういちだいごえふ)が整備されます。
これは現在、日本の中央に1府13省庁がおかれているのと同じような感じです。
「二官」とは、神祇祭祀をつかさどる神祇官(じんぎかん)と、行政の最高官庁である太政官(だいじょうかん)のことです。
いずれも組織の名前です、役職の名前ではありません。
太政官は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・少納言・左弁官・右弁官などで組織されます。
このなかで一番エライのは、太政大臣です。
ただし、ふさわしい人物がいなければ置かれません、これを則闕の官(そっけつのかん)といいます。
太政大臣がいないとき、太政官のなかで一番エライのは左大臣です。
左弁官(さべんかん)は、中務(なかつかさ)省・式部(しきぶ)省・治部(じぶ)省・民部(みんぶ)省の4省を、
右弁官(うべんかん)は、兵部(ひょうぶ)省・刑部(ぎょうぶ)省・大蔵(おおくら)省・宮内(くない)省の4省を、
それぞれ事務的に統轄します。
これらをまとめて「八省」と呼びます。
このなかで財政をつかさどるのは大蔵省です。
ただし、租税をつかさどるのは民部省ですので、間違えないようにしてくださいね!
大蔵省といえば、日本の行政機関の名称として長く使用されてきましたが、2001年に財務省となりました。
歴史ある名前だったんですがね…残念です……
「一台」は、弾正台(だんじょうだい)のことで、官吏(かんり)、すなわち役人を監察する機関です。
のち検非違使(けびいし)の設置によって、実質的な機能を失います。
「五衛府」は、衛門府(えもんふ)・左衛士府(さえじふ)・右衛士府(うえじふ)・左兵衛府(さひょうえふ)・右兵衛府(うひょうえふ)をまとめた名称です。
いずれも都の警備をつかさどりますが、これも検非違使の設置によって実権を失います。
以上が中央の組織です。
次に、地方を見ていきましょう。
全国は、畿内(きない、五畿(ごき)とも)と七道(しちどう)に分かれます。
畿内の「畿」は、現在も「近畿地方」という名称に使用されていますが、都を意味する言葉です。
ということで、「畿」の周辺である大和・山背(のち山城)・摂津・河内・和泉の5ヶ国を畿内と呼びます。
それ以外の地域は、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道に区分されます。
さらに、国・郡・里(のち郷)が置かれます。
50戸(こ、1戸は25人前後で構成)で1里、2~20里で1郡、数郡で国が編成されます。
国・郡・里、これは現在の都道府県・市・町みたいな感じです。
ただし、都道府県の総数は47ですが、この時代の国は70近くあります。
畿内・七道、そして律令時代の国名については、後日改めてまとめプリントをアップします。
国・郡・里、それぞれのリーダーは国司・郡司・里長(のち郷長)です。
国司は中央貴族が任命される役職なので、都からやってきた人間がつとめます。
一方、郡司はその土地の有力者から任命される役職なので、地元の人間がつとめます。
国司と郡司の違いを理解しておかないと、平安時代の勉強で苦しむことになりますよ!
いまのうちにしっかり整理しておきましょう。
次に要地をみていきましょう。
京、すなわち都には、左京職(さきょうしき)・右京職(うきょうしき)が設置され、
それぞれ朱雀大路の東側である左京、西側である右京の民政一般を担います。
さらに、京職の下には坊令(ぼうれい、条令(じょうれい)とも)と市司(いちのつかさ)が置かれ、
前者は各条内のことをつかさどり、後者は東市(ひがしのいち)・西市(にしのいち)という市の監督にあたります。
難波、すなわち現在の大阪には、国司にかわって摂津職(せっつしき)が置かれます。
都がおもに平城京におかれているこのころ、難波宮はサブの都として機能しています。
内陸の都とちがって海に面した難波宮は、外交にたいへん便利だからです。
遣唐使の船も、難波津(なにわづ)という港から出航していました。
北九州、すなわち現在の福岡県太宰府市には、七道の1つ西海道を統轄する大宰府(だざいふ)が置かれます。
律令政府の重要な出先機関なので、「遠の朝廷」(とおのみかど)なんて呼ばれます。
西海道を守る防人(さきもり)をまとめる役所である防人司(さきもりのつかさ)は、ここに所属します。
さまざまな朝廷の組織を見てきましたが、これらに勤める役人には、位階(いかい)が与えられます。
冠位十二階の制に始まるこの仕組み、
このころは正一位(しょういちい)から少初位下(しょうそいのげ)まで30種類に増えています。
五位以上の者は貴族、なかでもとくに三位(さんみ)以上の者は公卿(くぎょう)と呼ばれます。
位階には、それにふさわしい官職、すなわち役職が定められています。
たとえば最もエライ一位なら太政大臣、二位なら左大臣か右大臣といった具合です。
これを官位相当制(かんいそうとうせい)と呼びます。
藤原仲麻呂は正一位で太政大臣に就任しています。
年収は現在の価格に換算すると4億円近かったそうですよ…
う、羨ましい……
最後に、四等官制(しとうかんせい)を見ておきましょう。
各役所の幹部は、4階級で構成されます。
上から長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)です。
役所によって漢字が異なりますが、原則読み方は同じです。
ちなみに、郡司の四等官は大領・少領・主政・主帳です。
これ、見覚えありませんか?
墾田永年私財法の史料で出てきました。
詳しくは743年のゴロ合わせで確認しておいて下さい。
では最後に、解答を載せておきましょう。
次回も律令制度の続きをまとめます。
画像出典
http://www.craftmap.box-i.net/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%95%BF%E4%B8%83%E9%81%93#/media/File:Gokishichido.svg
これから3回にわたって律令の中身を見ていきます。
まずは、律令にもとづく政治の仕組みを取りあげましょう。
中央、すなわち都には、「二官八省一台五衛府」(にかんはっしょういちだいごえふ)が整備されます。
これは現在、日本の中央に1府13省庁がおかれているのと同じような感じです。
「二官」とは、神祇祭祀をつかさどる神祇官(じんぎかん)と、行政の最高官庁である太政官(だいじょうかん)のことです。
いずれも組織の名前です、役職の名前ではありません。
太政官は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・少納言・左弁官・右弁官などで組織されます。
このなかで一番エライのは、太政大臣です。
ただし、ふさわしい人物がいなければ置かれません、これを則闕の官(そっけつのかん)といいます。
太政大臣がいないとき、太政官のなかで一番エライのは左大臣です。
左弁官(さべんかん)は、中務(なかつかさ)省・式部(しきぶ)省・治部(じぶ)省・民部(みんぶ)省の4省を、
右弁官(うべんかん)は、兵部(ひょうぶ)省・刑部(ぎょうぶ)省・大蔵(おおくら)省・宮内(くない)省の4省を、
それぞれ事務的に統轄します。
これらをまとめて「八省」と呼びます。
このなかで財政をつかさどるのは大蔵省です。
ただし、租税をつかさどるのは民部省ですので、間違えないようにしてくださいね!
大蔵省といえば、日本の行政機関の名称として長く使用されてきましたが、2001年に財務省となりました。
歴史ある名前だったんですがね…残念です……
「一台」は、弾正台(だんじょうだい)のことで、官吏(かんり)、すなわち役人を監察する機関です。
のち検非違使(けびいし)の設置によって、実質的な機能を失います。
「五衛府」は、衛門府(えもんふ)・左衛士府(さえじふ)・右衛士府(うえじふ)・左兵衛府(さひょうえふ)・右兵衛府(うひょうえふ)をまとめた名称です。
いずれも都の警備をつかさどりますが、これも検非違使の設置によって実権を失います。
以上が中央の組織です。
次に、地方を見ていきましょう。
全国は、畿内(きない、五畿(ごき)とも)と七道(しちどう)に分かれます。
畿内の「畿」は、現在も「近畿地方」という名称に使用されていますが、都を意味する言葉です。
ということで、「畿」の周辺である大和・山背(のち山城)・摂津・河内・和泉の5ヶ国を畿内と呼びます。
それ以外の地域は、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道に区分されます。
さらに、国・郡・里(のち郷)が置かれます。
50戸(こ、1戸は25人前後で構成)で1里、2~20里で1郡、数郡で国が編成されます。
国・郡・里、これは現在の都道府県・市・町みたいな感じです。
ただし、都道府県の総数は47ですが、この時代の国は70近くあります。
畿内・七道、そして律令時代の国名については、後日改めてまとめプリントをアップします。
国・郡・里、それぞれのリーダーは国司・郡司・里長(のち郷長)です。
国司は中央貴族が任命される役職なので、都からやってきた人間がつとめます。
一方、郡司はその土地の有力者から任命される役職なので、地元の人間がつとめます。
国司と郡司の違いを理解しておかないと、平安時代の勉強で苦しむことになりますよ!
いまのうちにしっかり整理しておきましょう。
次に要地をみていきましょう。
京、すなわち都には、左京職(さきょうしき)・右京職(うきょうしき)が設置され、
それぞれ朱雀大路の東側である左京、西側である右京の民政一般を担います。
さらに、京職の下には坊令(ぼうれい、条令(じょうれい)とも)と市司(いちのつかさ)が置かれ、
前者は各条内のことをつかさどり、後者は東市(ひがしのいち)・西市(にしのいち)という市の監督にあたります。
難波、すなわち現在の大阪には、国司にかわって摂津職(せっつしき)が置かれます。
都がおもに平城京におかれているこのころ、難波宮はサブの都として機能しています。
内陸の都とちがって海に面した難波宮は、外交にたいへん便利だからです。
遣唐使の船も、難波津(なにわづ)という港から出航していました。
北九州、すなわち現在の福岡県太宰府市には、七道の1つ西海道を統轄する大宰府(だざいふ)が置かれます。
律令政府の重要な出先機関なので、「遠の朝廷」(とおのみかど)なんて呼ばれます。
西海道を守る防人(さきもり)をまとめる役所である防人司(さきもりのつかさ)は、ここに所属します。
さまざまな朝廷の組織を見てきましたが、これらに勤める役人には、位階(いかい)が与えられます。
冠位十二階の制に始まるこの仕組み、
このころは正一位(しょういちい)から少初位下(しょうそいのげ)まで30種類に増えています。
五位以上の者は貴族、なかでもとくに三位(さんみ)以上の者は公卿(くぎょう)と呼ばれます。
位階には、それにふさわしい官職、すなわち役職が定められています。
たとえば最もエライ一位なら太政大臣、二位なら左大臣か右大臣といった具合です。
これを官位相当制(かんいそうとうせい)と呼びます。
藤原仲麻呂は正一位で太政大臣に就任しています。
年収は現在の価格に換算すると4億円近かったそうですよ…
う、羨ましい……
最後に、四等官制(しとうかんせい)を見ておきましょう。
各役所の幹部は、4階級で構成されます。
上から長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)です。
役所によって漢字が異なりますが、原則読み方は同じです。
ちなみに、郡司の四等官は大領・少領・主政・主帳です。
これ、見覚えありませんか?
墾田永年私財法の史料で出てきました。
詳しくは743年のゴロ合わせで確認しておいて下さい。
では最後に、解答を載せておきましょう。
次回も律令制度の続きをまとめます。
画像出典
http://www.craftmap.box-i.net/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%95%BF%E4%B8%83%E9%81%93#/media/File:Gokishichido.svg
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