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884年 藤原基経が関白に就任する [年号のゴロ合わせ]

前回は、応天門の変によって伴氏・紀氏といった有力者を排斥することに成功した藤原良房が、
臣下で初めて摂政に就任したことをお話ししました。
今日は、藤原良房の「息子」である藤原基経(ふじわらのもとつね)が、
関白(かんぱく)に就任する様子を見ていきましょう。



さきほど藤原基経のことを、藤原良房の「息子」と紹介しましたが、実の息子ではありません。
藤原良房には息子がおらず、お兄ちゃんの息子、すなわち甥っ子を養子とします。
それが、藤原基経なのです。

872年、藤原良房がこの世を去り、藤原基経が藤原北家を率いてゆくようになります。
その4年後、清和天皇は、息子の陽成天皇(ようぜいてんのう)に譲位します。
陽成天皇は、藤原基経の妹である藤原高子(ふじわらのたかいこ、または、ふじわらのこうし)が産んだ子です。
このときわずか9歳。
と、いうことで!
おじさんである藤原基経が、陽成天皇の摂政をつとめます。

884-1.jpg

ところが、陽成天皇は成長するにつれ、次第に藤原基経との関係を悪化させてゆきます。
その一因は、どうやら藤原基経と藤原高子の仲の悪さにあるようです。

*   *   *

藤原長良(ふじわらのながら、または、ふじわらのながよし)の娘として生まれた藤原高子は、
いずれ天皇の奥さんになるべく、藤原北家の手で大切に育てられます。
やがて彼女は美人で聡明な女性に成長し、
文徳天皇の時代には、おばさんである藤原順子のもとで暮らすようになります。

当時の権力者である藤原良房は、
いずれ藤原高子を、皇太子である孫(のちの清和天皇)の奥さんにしようと目論んでいたのです。

ちなみに、順子おばさんは、文徳天皇のお母さんですよ。
ややこしいので、上の系図でいったん頭を整理しておいてくださいね。

ところが!
そんなとき!!

藤原高子に彼氏ができます。

彼氏とは、『伊勢物語』の主人公とされる人物なのですが、
誰だか分かりますか?

正解は、在原業平(ありわらのなりひら)です。
『源氏物語』の主人公 光源氏のモデルとも言われる、超イケメンです!

結婚形態が妻問婚である平安時代、
貴族の恋愛は、彼氏が彼女の家を夜な夜な訪ねる、というのが基本です。
といっても、いくらなんでも藤原順子の家を堂々と訪ねるわけにはいかないので、
在原業平は壁が崩れている部分(天皇のお母さんの家なのにね…崩れてるんですね……)から
密かに侵入するわけです。

在原業平は、平城太上天皇の孫にあたる高貴な身の上なのですが、
薬子の変などのあおりを受けて、このころ政界から干されている状況です。

藤原北家としては、天皇の奥さんになってもらおうと考えている藤原高子が、
そんな男とイイ感じになっているなんて、許せることではありません。
禁断の恋のすえ、2人はなんと駆け落ちしてしまいます。
ところが、兄の藤原基経らによってすぐに発見され、連れ戻されてしまうのです。

884.jpg

結果、在原業平は東国に追放されてしまいます。
一方の藤原高子はというと、25歳のときに16歳の清和天皇と結婚し、子を産みます。
その子はなんと、生後3ヶ月で皇太子となるのです。

そんなころ、藤原高子と在原業平は宮中で再会します。
そのとき、在原業平が詠んだ和歌こそ、

ちはやぶる かみよもきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは

という、百人一首にも選ばれている有名なものです。

この和歌については、杉田圭さんの『うた恋い。』という漫画におもしろく描かれていますので、
そちらをぜひお読みくださいませ。
萌えますよ。

*   *   *

話を陽成天皇と藤原基経の関係に戻しましょう。

先ほど登場した、生後3ヶ月で皇太子となった赤ちゃんこそが、のちの陽成天皇です。
繰り返しになりますが、9歳で即位した彼を、おじさんの藤原基経が摂政として補佐します。
しかし、清和上皇が亡くなったころから、藤原高子と藤原基経は対立するようになり、
藤原基経と陽成天皇の関係も次第にこじれてゆくのです。
そうして、摂政である藤原基経は、朝廷に顔を出さないようになってしまいます。

そんなおり、宮中で殺人事件が起こります。
天皇のそばに仕えていた人物が、何者かに殴り殺されたのです。
やんちゃな性格の陽成天皇が、この事件にかかわっているのではないかという噂が流れ、
陽成天皇は退位を余儀なくされてしまいます。

さぁ!では、次の天皇は誰なのでしょう…

藤原基経としては、藤原高子や陽成天皇の息のかかった人物はイヤなわけです。
そこで目をつけたのが、仁明天皇の息子です。

え?
仁明天皇??

ハイ、系図で確認しておきましょう。

884-2.jpg

いや~、藤原基経、えらいところから引っ張ってきましたね!(笑)
彼、このとき55歳です。
平安時代の年齢に1.5をかけた数字が、だいたい現代人の年齢になる、という説があるのですが、
これを当てはめると、55歳×1.5=82歳です。
かなりのおじいちゃんであることが分かりますね。

そんなおじいちゃんですからね。
もう自分が天皇になる日なんて来ないと思っていたわけです。
まさか自分が天皇になる日が来るなんて思ってもみなかったわけです。

それなのに、藤原基経の猛プッシュによって即位し、光孝天皇(こうこうてんのう)となります。
ちなみに、藤原基経のお母さんと、光孝天皇のお母さんは姉妹なので、
藤原基経と光孝天皇はいとこです。

光孝天皇は、こんな老いぼれを天皇に抜擢してくれた藤原基経をぜひ摂政にと思うのですが、
摂政は天皇が幼い場合や、女性である場合に置かれる役職です。
考えてみれば、自分は大概ええトシなのですよ。
摂政置くとかできないわけですよ。
ならば、成人した天皇を補佐する役職を、新たに設ければよいのです!

こうしてつくられたのが、関白です。
「関(あずか)り白(もう)す」というのが語源で、
天皇に申し上げたいこと、または天皇が言いたいことを文書にしたものを、
あらかじめ目にするのが主な仕事です。
もちろん律令にはない新設の官職ですので、令外官(りょうげのかん)ですよ!

こうして、藤原基経は初めて関白に任命されるのです。

ちなみに私、大学生のころは幕末期の関白を研究しておりました。
え?幕末に関白っているの??と疑問に思うかもしれませんが、
1868年に王政復古の大号令で廃止されるまで、関白(摂政)は脈々と続いておるのですよ。
存在感ないですけどね!(笑)

それでは、今日のゴロ合わせ☆

884年.jpg



光孝天皇は、わずか3年でこの世を去ってしまいます。
次回は、彼の死後に起こる、阿衡の紛議(あこうのふんぎ)を取り上げます。
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koroinu

おお、これは伊勢の芥川ですね。
しかし、古文を読んでいると「齢四十ほどの老婆」と書かれていて、いつもショックを受けていました。
私、古典の世界ならば二十八歳なのですね!!

by koroinu (2017-06-06 14:42) 

春之助

koroinu様
コメント、ありがとうございます!
平安時代の年齢を1.5倍すれば、だいたい現代人の年齢になる、という説は、
平安時代がご専門の先生に教えていただきました。
四十路で老婆ってショックすぎますもんね(笑)
by 春之助 (2017-06-06 15:21) 

ちっぱ

高校3年生です。
日本史で分からないところを検索していたときに春之助さんのブログを見つけました( ¨? )
本当に分かりやすくて、授業では教えてもらえなかったことまで分かって、とても読んでいて楽しいです♪
これからも復習、受験勉強に使わせていただきます[m(_ _)m]?♂?
by ちっぱ (2018-05-06 23:30) 

春之助

ちっぱ様
嬉しいコメント、ありがとうございます!
高校3年生…たいへんな1年ですね……
ツラい受験勉強が、このブログで少しでも楽しくなれば幸いです!
のろのろ更新で申し訳ありませんが、これからもよろしくお願いいたします。
頑張ってくださいね☆
by 春之助 (2018-05-08 13:23) 

Ariel

こんにちは。
私、光孝天皇と変わらないような年齢からまた日本史を勉強始めた老婆です(笑)
こちらのブログ、本当にわかりやすくて、楽しく勉強させていただいています。ありがとうございます!
どんなイラストが飛び出すか、毎回楽しみにしているのですが、この系図の光孝天皇の「え?わし?」には爆笑してしまいました。
引き続き読み進めてまいりますので、これからも頑張ってください。


by Ariel (2019-07-30 13:33) 

春之助

Ariel様
嬉しいコメント、ありがとうございます!
いくつになっても学び続けるAriel様には、本当に感服いたします。
このブログが少しでもお勉強のお役に立っているのなら幸いです!
のろのろ更新ではありますが、これからもよろしくお願いいたします。

by 春之助 (2019-08-01 16:19) 

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