平安時代(8) [まとめプリント]
今日から2回にわたって、10~11世紀に平安京を中心に栄えた、国風文化(こくふうぶんか)を取り上げます。
藤原北家(ふじわらほっけ)による摂関政治(せっかんせいじ)の時代に花開いた文化なので、
たまーに藤原文化(ふじわらぶんか)と呼ばれることもあります。
この文化の担い手は、もちろん藤原北家をはじめとする貴族たちです。
はじめに、国風文化のおもな特徴を、3つにまとめておきましょう。
①大陸文化の摂取・消化のうえに成立した、日本の風土や日本人の人情・嗜好(しこう)にかなった、
優雅(ゆうが)で洗練された文化
→これまで栄えていたのは、大陸(中国など)の文化の影響を強く受けた、唐風(とうふう)の文化でしたが、
894年に遣唐使が停止されたこともあり、日本に合った独自の文化が発展します。
②かな文字(仮名文字、とも表記します)の発達による国文学の発達
→平がな(平仮名)や片かな(片仮名)の成立により、さまざまな文学作品が生み出されます。
③浄土教(じょうどきょう)の流行
→末法思想もあいまって、このころ浄土教が流行し、それが美術面をはじめ、さまざまなところに影響を及ぼします。
以上が、国風文化の簡単な特徴です。
今日は、国風文化のうち、文学と貴族の生活Ⅰ(衣食住など)を見ていきます。

まずは、文学です。
プリントの左側を見ながら、ついて来てくださいね~!
①かな文字の発達
かな文字の成立が、国文学のめざましい発達をもたらします。
かな文字とは、みなさんよーくご存知の、平がなと片かなのことです。
これまで人々は、漢字を用いて日本語の音を表記する、万葉がな(まんようがな)を用いてきました。
しかし、漢字は、1文字1文字に意味がこめられた、表意文字(ひょういもじ)です。
そのため、万葉がなを使っていると、
表現したい言葉とは違うイメージが乗っかってきちゃうことがあったのです。
たとえば、『万葉集』に収録される和歌の1つに、
天地(あめつし)の いづれの神を 祈らばか 愛(うつく)し母に また言(こと)とはむ
というのがあります。
意味は、天の神様、地の神様、どの神様に祈ったら、愛しい母親にまた話しができるのでしょうか…です。
これ、現代人に読みやすいよう、漢字と平がなを使って表記しなおしたのですが、
『万葉集』に収録されたまんまの万葉がなで表記すると、
阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟
となります。
両者を比べてみてください。
万葉がなは、日本語の1つ1つの音を、1文字ずつ漢字にあてはめているのが分かりますね。
そして、この和歌では、お母さんを意味する「はは」が、「波波」と表記されていることが見て取れます。
うーん、なんだか「お母さんって、サーファーだったの!?」ってなイメージが乗っかってきませんか?(笑)

極端な例を出しましたが、漢字が表意文字であるがゆえに、
万葉がなだと、自分の思ったことがそのまんま正確に伝えられないことがあったのです。
そこで誕生したのが、かな文字です。
平がなの「い」は、「い」という音だけ、
片かなの「イ」は、「イ」という音だけを表す、表音文字(ひょうおんもじ)です。
平がなは、万葉がなの草書体(そうしょたい、くずした漢字のこと)を簡単にして作られ、
片かなは、漢字の一部分から作られました。

これらのかな文字が成立したことで、
日本人の感情や感覚を、正確に、より生き生きと伝えられるようになり、
国文学が発達したのです。
ちなみにこの時代、平がなを使用するのは、主に女性でした。
よって、平がなは女文字(おんなもじ)とか、女手(おんなで)とも呼ばれたようです。
また、貴族が自分の娘を天皇と結婚させる際、家庭教師として才能豊かな女性を雇いました。
これらがあいまって、平安時代には多くの女流作家が活躍することになるのです。
では、おもな文学作品を、簡単に見ていきましょう。
②かな文学
古典の授業で、習ったことのある作品が多いかもしれません。
● かな物語(かな文字で書かれた物語)
・『竹取物語』(たけとりものがたり)/作者未詳
…かぐや姫の伝説を題材とした伝奇物語(でんきものがたり、いわゆるファンタジー)
かぐや姫のお婿(むこ)さん選びのシーンでは、貴族社会の内面が描写される
・『伊勢物語』(いせものがたり)/作者未詳
…超イケメンの在原業平(ありわらのなりひら)とおぼしき男性の恋愛談
和歌を中心とした、ラブストーリー短編集
・『宇津保物語』(うつほものがたり)/作者未詳
…左大将の娘をめぐる結婚談などで構成
彼女が貴族たちから求婚されまくるシーンは、『竹取物語』の影響を受けているっぽく、
また、この物語の写実的な描写は、『源氏物語』に影響を与えたとされる
・『落窪物語』(おちくぼものがたり)/作者未詳
…継子(ままこ、血のつながりのない子どものこと)いじめの物語
継母(ままはは)に虐待されたお姫さまが、貴族と結婚して幸せになる、というシンデレラみたいなお話
・『源氏物語』(げんじものがたり)/紫式部(むらさきしきぶ)
…光源氏(ひかるげんじ)という超イケメンをおもな主人公にした、ありとあらゆるラブストーリー
藤原氏全盛期の貴族社会を描写した大作
作者の紫式部は、一条天皇の中宮である藤原彰子(ふじわらのしょうし、藤原道長の娘)の家庭教師
あと、院政期の文化で紹介する予定なので、このプリントには載せていませんが、
赤染衛門(あかぞめえもん)という女性が書いたと考えられる『栄華物語(栄花物語)』(えいがものがたり)は、藤原道長の栄華を賛美する歴史物語です
● かな随筆(かな文字で書かれた随筆)
・『枕草子』(まくらのそうし)/清少納言(せいしょうなごん)
…「春はあけぼの」で始まる、宮廷生活の体験をあらわしたエッセイ集
作者の清少納言は、一条天皇の皇后である藤原定子(ふじわらのていし)の家庭教師
● かな日記(かな文字で書かれた日記)
・『土佐日記』(とさにっき)/紀貫之(きのつらゆき)
…最初のかな日記
土佐守(とさのかみ、土佐国の国司)の任期を終え、平安京に帰るまでの旅行日記
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」という一文で始まります
「男が書く日記というものを、女の私も書いてみようと思って書くの」ってな意味ですが…
作者は完全に男です!男!!
かな文字は主に女性が使うものなので、女性のふりしてかな日記を書いちゃった☆、というわけです
・『蜻蛉日記』(かげろうにっき)/藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母
…藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の奥さんが書いた日記
旦那のほかの奥さん(藤原道長のお母さん)との競争や、旦那に次々とできる愛人について、
また、息子である藤原道綱の成長などを書いた日記
・『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)/和泉式部
…和泉式部が、敦道親王(あつみちしんのう)との恋を、和歌をたっぷり盛り込んで回想した日記
・『紫式部日記』/紫式部
…藤原彰子に仕える紫式部が、宮中の様子などを記したもの
ちなみに、紫式部はこの日記のなかで、清少納言のことを、
「頭がいいふりして漢字を書きまくってるけど、中身は幼稚よね」みたいにディスっています…
・『更級日記』(さらしなにっき)/菅原孝標(すがわらのたかすえ)の女(むすめ)
…上総国の国司の任期を終えた菅原孝標とともに平安京に戻ってきた娘の回想日記
念のため言っておきますが、彼女は菅原孝標の娘ですからね!
「菅原孝標のオンナって…一体……!!」って、変な妄想をふくらませないように!!(笑)
③漢文学
このころ、公式の場では、従来通り漢文(奈良時代よりは、ちょっとくだけたもの)が使用されています。
貴族の男性の日記なども、すべて漢文で書かれています。
ちなみに、かな(仮名)に対して、漢字のことを真名(まな)と呼んだりします。
● 日記
平安時代、朝廷では儀式や行事が増大します。
そこで貴族たちは、のちの人々の参考になるように…と、
「この儀式では、こんな準備をして、当日はこうやって動いた」とか、
「この行事はこんな服装で参加した」というようなことを、日記として記録するようになります。
そう、この時代の日記は、他人に見せることが前提なのです。
まぁいまの時代のSNSもそうですけどね!
・『御堂関白記』(みどうかんぱくき)/藤原道長
…御堂関白(みどうかんぱく)と呼ばれた藤原道長の日記
写真で見ると、こんな感じです

漢字ばっかりで書かれているのが分かりますね
私は、ガラスケース越しに『御堂関白記』を何度か拝見したことがあるのですが、
もうね、「あの藤原道長が書いた文字なんや!あの藤原道長が触った紙なんや!!」と、感動しました
機会があれば、ぜひ直接、自分の目で見て頂きたいと思います
当たり前ですけど、「藤原道長って本当にいたんだ…」ということを実感しますよ!
11世紀の最高権力者の日記が直筆で遺(のこ)っている、というのは世界的に珍しく、とても貴重です
ちなみに、『御堂関白記』というタイトルですが、藤原道長は関白にはなっていませんので注意してください
彼が就任したのは、摂政と太政大臣です
・『小右記』(しょうゆうき)/藤原実資(ふじわらのさねすけ)
…藤原道長が詠んだ「此の世をば…」の和歌を収録していることで有名な日記
小野宮家(おののみやけ)の右大臣である藤原実資の日記、ということで、タイトルは『小右記』です
●その他
・『和(倭)名類聚抄』(わみょうるいじゅうしょう)/源順(みなもとのしたごう)
…百科事典のような漢和辞書
④和歌集
ラブレターも和歌で!という平安時代は、和歌が非常に発達します。
平安前期を代表する和歌の名人といえば、
僧正遍昭(そうじょうへんじょう、僧正はお坊さんの位)・在原業平・小野小町(おののこまち)
喜撰(きせん)・文屋康秀(ふんやのやすひで)・大友黒主(おおとものくろぬし)の6人です。
まとめて六歌仙(ろっかせん)といいます。
・『古今和歌集』(こきんわかしゅう)/紀貫之・紀友則(きのとものり)・壬生忠岑(みぶのただみね)など
…醍醐天皇の命でつくられた、最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)
収録された和歌は、優美で繊細で技巧的なものが多く、この歌風を古今調(こきんちょう)といいます
ちなみに勅撰和歌集とは、天皇や上皇の命令で編纂された和歌集のことをいいます
勅撰和歌集は、『古今和歌集』を含めて8つ作られ、これらをまとめて八代集(はちだいしゅう)と呼びます
・『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)/藤原公任(ふじわらのきんとう)
…朗詠(ろうえい)に適する和歌や漢詩文を集録したもの
なお、朗詠とは、和歌や漢詩文をメロディーにのせて歌うことです
* * *
続いて、プリントの右側にある、貴族の生活Ⅰ(衣食住)を見ていきます。
①衣
貴族は、これまで着ていた唐風の服装を、
日本人向きにガラッとつくりかえた優美なものを着用するようになります
衣料はおもに絹で、文様(もんよう)や配色(はいしょく)などに日本風の意匠(いしょう)をこらします
● 貴族の男性
・束帯(そくたい)
…正装
頭に冠をかぶり、衣は帯で束ねます
すそには裾(きょ)という長~いぺらぺらが見えますが、この長さで身分が分かるようになっています
・衣冠(いかん)
…束帯に次ぐ正装
衣をつけ、冠をかぶります
束帯と衣冠は、身分などによって着用する色やアイテムが決まっています
・直衣(のうし)
…普段着
頭には烏帽子(えぼし)と呼ばれる帽子をかぶります
・狩衣(かりぎぬ)
…狩りなどにでかける際などに着用する普段着
肩の部分が開いていて(下に着た着物が見えるので、おしゃれも楽しめる)、
そでにはヒモが通してあり(ヒモを引っ張れば、そでをしぼることができる)、
動きやすく、スポーティーな衣です
↓次の写真は、みんな狩衣を着用しています(私もマイ狩衣を着てどこかにいます…笑)

直衣と狩衣は、色もガラも好きなもの自由に着られるので、集まるとこんな風にカラフルです(笑)
ちなみに、フィギュアスケートの羽生弓弦選手が、ピョンチャンオリンピックで金メダルをとりましたが、
フリーの衣装の肩とそでの部分を見てみてください、狩衣をモデルにしていることが分かりますよ!
● 貴族の女性
・女房装束(にょうぼうしょうぞく)
…正装、いわゆる十二単(じゅうにひとえ)
色の組み合わせなどを考えながら、たくさんの着物を重ね着します(12枚とは限りません)
よって、すごく重くて、だいたい20kgほどになったとか…動けませんね…
↓写真で見ると、こんな感じです

色合いがとても美しいですね…それにしても、重たそうです…
・小袿(こうちぎ)に袴(はかま)
…普段着(準正装)
袴をつけて、着物を重ね着した上に着る、ちょっと小さいサイズの上着が小袿
ついでに、庶民の服装も簡単に見ておきましょう。
庶民の男子は、水干(すいかん)・直垂(ひたたれ)、
庶民の女子は、小袖(こそで)などを着用したようです。
②食
比較的簡素で、1日2食が基準です。
調理方法は焼く・蒸す・煮るくらいしかなく、油は使用しません(揚げ物が存在しないのですよ…淋しい…)。
また、仏教の影響から、動物の殺生がよろしくないとされ、獣肉は基本的には食さなかったようです。
4本足ではない鳥とか魚はオッケーだったそうです。
③住
寝殿造(しんでんづくり)という建築様式を用いた大邸宅に居住します。
↓復元模型で見ると、こんな感じです。

①の寝殿(しんでん)という建物を中心に、
東西に対屋(たいのや)という建物が設けられ(④東対(ひがしのたい)など)、
それらが⑦渡殿(わたどの)という廊下でつながっています。
対屋からのびる⑧透廊(すきろう)の先には、⑨釣殿(つりどの)がつくられ、
南側につくられた池を臨むことができる、というわけです。
いやぁ~、プール付きのとんでもない豪邸ですよ、これ!
まぁプールといっても泳ぐわけではありません、船を浮かべたりして遊ぶのです。
優雅ですな~…
寝殿造では、皮をはいで削っただけで、塗料などを塗っていない木を柱として用います。
これを白木造(しらきづくり)といいます。
また、床は板床(いたゆか)と呼ばれるフローリングなので、
畳や円座(わろうだ、または、えんざ)と呼ばれる座布団みたいなものを敷いて座ります。
また、それぞれの部屋はかなり広いなので、空間を区切ったり、目隠しをするために、
襖(ふすま、障子の1種)や屛風(びょうぶ)を部屋の仕切りとして使用したようです。
いやぁ~、ほんとゴージャスな家ですよね…
冬はめっちゃ寒そうですけどね……(笑)
ちなみに、貴族の多くは平安京の左京に居住します。
なぜ右京ではないのかは、794年のゴロ合わせで復習してくださいね。
④その他
●成人式
男女ども、だいたい10~15歳で成年式を受けます
・男子:元服(げんぷく)
…長く伸ばした髪でマゲを結い、冠をつけます
以降、官職をもらって朝廷につかえることになります
・女子:裳着(もぎ)
…女房装束に裳(も)というパーツをつけます
↓写真で見ると、裳はこんな感じです

とてもとても長くなってしまいました…すいません(汗)
最後に解答を載せておきましょう。

次回は国風文化の2回目、宗教・美術、そして貴族の生活Ⅱをまとめていきます。

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画像出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9D%A1%E9%99%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%89%E6%9D%A1%E6%AE%BF
藤原北家(ふじわらほっけ)による摂関政治(せっかんせいじ)の時代に花開いた文化なので、
たまーに藤原文化(ふじわらぶんか)と呼ばれることもあります。
この文化の担い手は、もちろん藤原北家をはじめとする貴族たちです。
はじめに、国風文化のおもな特徴を、3つにまとめておきましょう。
①大陸文化の摂取・消化のうえに成立した、日本の風土や日本人の人情・嗜好(しこう)にかなった、
優雅(ゆうが)で洗練された文化
→これまで栄えていたのは、大陸(中国など)の文化の影響を強く受けた、唐風(とうふう)の文化でしたが、
894年に遣唐使が停止されたこともあり、日本に合った独自の文化が発展します。
②かな文字(仮名文字、とも表記します)の発達による国文学の発達
→平がな(平仮名)や片かな(片仮名)の成立により、さまざまな文学作品が生み出されます。
③浄土教(じょうどきょう)の流行
→末法思想もあいまって、このころ浄土教が流行し、それが美術面をはじめ、さまざまなところに影響を及ぼします。
以上が、国風文化の簡単な特徴です。
今日は、国風文化のうち、文学と貴族の生活Ⅰ(衣食住など)を見ていきます。

まずは、文学です。
プリントの左側を見ながら、ついて来てくださいね~!
①かな文字の発達
かな文字の成立が、国文学のめざましい発達をもたらします。
かな文字とは、みなさんよーくご存知の、平がなと片かなのことです。
これまで人々は、漢字を用いて日本語の音を表記する、万葉がな(まんようがな)を用いてきました。
しかし、漢字は、1文字1文字に意味がこめられた、表意文字(ひょういもじ)です。
そのため、万葉がなを使っていると、
表現したい言葉とは違うイメージが乗っかってきちゃうことがあったのです。
たとえば、『万葉集』に収録される和歌の1つに、
天地(あめつし)の いづれの神を 祈らばか 愛(うつく)し母に また言(こと)とはむ
というのがあります。
意味は、天の神様、地の神様、どの神様に祈ったら、愛しい母親にまた話しができるのでしょうか…です。
これ、現代人に読みやすいよう、漢字と平がなを使って表記しなおしたのですが、
『万葉集』に収録されたまんまの万葉がなで表記すると、
阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟
となります。
両者を比べてみてください。
万葉がなは、日本語の1つ1つの音を、1文字ずつ漢字にあてはめているのが分かりますね。
そして、この和歌では、お母さんを意味する「はは」が、「波波」と表記されていることが見て取れます。
うーん、なんだか「お母さんって、サーファーだったの!?」ってなイメージが乗っかってきませんか?(笑)

極端な例を出しましたが、漢字が表意文字であるがゆえに、
万葉がなだと、自分の思ったことがそのまんま正確に伝えられないことがあったのです。
そこで誕生したのが、かな文字です。
平がなの「い」は、「い」という音だけ、
片かなの「イ」は、「イ」という音だけを表す、表音文字(ひょうおんもじ)です。
平がなは、万葉がなの草書体(そうしょたい、くずした漢字のこと)を簡単にして作られ、
片かなは、漢字の一部分から作られました。

これらのかな文字が成立したことで、
日本人の感情や感覚を、正確に、より生き生きと伝えられるようになり、
国文学が発達したのです。
ちなみにこの時代、平がなを使用するのは、主に女性でした。
よって、平がなは女文字(おんなもじ)とか、女手(おんなで)とも呼ばれたようです。
また、貴族が自分の娘を天皇と結婚させる際、家庭教師として才能豊かな女性を雇いました。
これらがあいまって、平安時代には多くの女流作家が活躍することになるのです。
では、おもな文学作品を、簡単に見ていきましょう。
②かな文学
古典の授業で、習ったことのある作品が多いかもしれません。
● かな物語(かな文字で書かれた物語)
・『竹取物語』(たけとりものがたり)/作者未詳
…かぐや姫の伝説を題材とした伝奇物語(でんきものがたり、いわゆるファンタジー)
かぐや姫のお婿(むこ)さん選びのシーンでは、貴族社会の内面が描写される
・『伊勢物語』(いせものがたり)/作者未詳
…超イケメンの在原業平(ありわらのなりひら)とおぼしき男性の恋愛談
和歌を中心とした、ラブストーリー短編集
・『宇津保物語』(うつほものがたり)/作者未詳
…左大将の娘をめぐる結婚談などで構成
彼女が貴族たちから求婚されまくるシーンは、『竹取物語』の影響を受けているっぽく、
また、この物語の写実的な描写は、『源氏物語』に影響を与えたとされる
・『落窪物語』(おちくぼものがたり)/作者未詳
…継子(ままこ、血のつながりのない子どものこと)いじめの物語
継母(ままはは)に虐待されたお姫さまが、貴族と結婚して幸せになる、というシンデレラみたいなお話
・『源氏物語』(げんじものがたり)/紫式部(むらさきしきぶ)
…光源氏(ひかるげんじ)という超イケメンをおもな主人公にした、ありとあらゆるラブストーリー
藤原氏全盛期の貴族社会を描写した大作
作者の紫式部は、一条天皇の中宮である藤原彰子(ふじわらのしょうし、藤原道長の娘)の家庭教師
あと、院政期の文化で紹介する予定なので、このプリントには載せていませんが、
赤染衛門(あかぞめえもん)という女性が書いたと考えられる『栄華物語(栄花物語)』(えいがものがたり)は、藤原道長の栄華を賛美する歴史物語です
● かな随筆(かな文字で書かれた随筆)
・『枕草子』(まくらのそうし)/清少納言(せいしょうなごん)
…「春はあけぼの」で始まる、宮廷生活の体験をあらわしたエッセイ集
作者の清少納言は、一条天皇の皇后である藤原定子(ふじわらのていし)の家庭教師
● かな日記(かな文字で書かれた日記)
・『土佐日記』(とさにっき)/紀貫之(きのつらゆき)
…最初のかな日記
土佐守(とさのかみ、土佐国の国司)の任期を終え、平安京に帰るまでの旅行日記
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」という一文で始まります
「男が書く日記というものを、女の私も書いてみようと思って書くの」ってな意味ですが…
作者は完全に男です!男!!
かな文字は主に女性が使うものなので、女性のふりしてかな日記を書いちゃった☆、というわけです
・『蜻蛉日記』(かげろうにっき)/藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母
…藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の奥さんが書いた日記
旦那のほかの奥さん(藤原道長のお母さん)との競争や、旦那に次々とできる愛人について、
また、息子である藤原道綱の成長などを書いた日記
・『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)/和泉式部
…和泉式部が、敦道親王(あつみちしんのう)との恋を、和歌をたっぷり盛り込んで回想した日記
・『紫式部日記』/紫式部
…藤原彰子に仕える紫式部が、宮中の様子などを記したもの
ちなみに、紫式部はこの日記のなかで、清少納言のことを、
「頭がいいふりして漢字を書きまくってるけど、中身は幼稚よね」みたいにディスっています…
・『更級日記』(さらしなにっき)/菅原孝標(すがわらのたかすえ)の女(むすめ)
…上総国の国司の任期を終えた菅原孝標とともに平安京に戻ってきた娘の回想日記
念のため言っておきますが、彼女は菅原孝標の娘ですからね!
「菅原孝標のオンナって…一体……!!」って、変な妄想をふくらませないように!!(笑)
③漢文学
このころ、公式の場では、従来通り漢文(奈良時代よりは、ちょっとくだけたもの)が使用されています。
貴族の男性の日記なども、すべて漢文で書かれています。
ちなみに、かな(仮名)に対して、漢字のことを真名(まな)と呼んだりします。
● 日記
平安時代、朝廷では儀式や行事が増大します。
そこで貴族たちは、のちの人々の参考になるように…と、
「この儀式では、こんな準備をして、当日はこうやって動いた」とか、
「この行事はこんな服装で参加した」というようなことを、日記として記録するようになります。
そう、この時代の日記は、他人に見せることが前提なのです。
まぁいまの時代のSNSもそうですけどね!
・『御堂関白記』(みどうかんぱくき)/藤原道長
…御堂関白(みどうかんぱく)と呼ばれた藤原道長の日記
写真で見ると、こんな感じです

漢字ばっかりで書かれているのが分かりますね
私は、ガラスケース越しに『御堂関白記』を何度か拝見したことがあるのですが、
もうね、「あの藤原道長が書いた文字なんや!あの藤原道長が触った紙なんや!!」と、感動しました
機会があれば、ぜひ直接、自分の目で見て頂きたいと思います
当たり前ですけど、「藤原道長って本当にいたんだ…」ということを実感しますよ!
11世紀の最高権力者の日記が直筆で遺(のこ)っている、というのは世界的に珍しく、とても貴重です
ちなみに、『御堂関白記』というタイトルですが、藤原道長は関白にはなっていませんので注意してください
彼が就任したのは、摂政と太政大臣です
・『小右記』(しょうゆうき)/藤原実資(ふじわらのさねすけ)
…藤原道長が詠んだ「此の世をば…」の和歌を収録していることで有名な日記
小野宮家(おののみやけ)の右大臣である藤原実資の日記、ということで、タイトルは『小右記』です
●その他
・『和(倭)名類聚抄』(わみょうるいじゅうしょう)/源順(みなもとのしたごう)
…百科事典のような漢和辞書
④和歌集
ラブレターも和歌で!という平安時代は、和歌が非常に発達します。
平安前期を代表する和歌の名人といえば、
僧正遍昭(そうじょうへんじょう、僧正はお坊さんの位)・在原業平・小野小町(おののこまち)
喜撰(きせん)・文屋康秀(ふんやのやすひで)・大友黒主(おおとものくろぬし)の6人です。
まとめて六歌仙(ろっかせん)といいます。
・『古今和歌集』(こきんわかしゅう)/紀貫之・紀友則(きのとものり)・壬生忠岑(みぶのただみね)など
…醍醐天皇の命でつくられた、最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)
収録された和歌は、優美で繊細で技巧的なものが多く、この歌風を古今調(こきんちょう)といいます
ちなみに勅撰和歌集とは、天皇や上皇の命令で編纂された和歌集のことをいいます
勅撰和歌集は、『古今和歌集』を含めて8つ作られ、これらをまとめて八代集(はちだいしゅう)と呼びます
・『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)/藤原公任(ふじわらのきんとう)
…朗詠(ろうえい)に適する和歌や漢詩文を集録したもの
なお、朗詠とは、和歌や漢詩文をメロディーにのせて歌うことです
* * *
続いて、プリントの右側にある、貴族の生活Ⅰ(衣食住)を見ていきます。
①衣
貴族は、これまで着ていた唐風の服装を、
日本人向きにガラッとつくりかえた優美なものを着用するようになります
衣料はおもに絹で、文様(もんよう)や配色(はいしょく)などに日本風の意匠(いしょう)をこらします
● 貴族の男性
・束帯(そくたい)
…正装
頭に冠をかぶり、衣は帯で束ねます
すそには裾(きょ)という長~いぺらぺらが見えますが、この長さで身分が分かるようになっています
・衣冠(いかん)
…束帯に次ぐ正装
衣をつけ、冠をかぶります
束帯と衣冠は、身分などによって着用する色やアイテムが決まっています
・直衣(のうし)
…普段着
頭には烏帽子(えぼし)と呼ばれる帽子をかぶります
・狩衣(かりぎぬ)
…狩りなどにでかける際などに着用する普段着
肩の部分が開いていて(下に着た着物が見えるので、おしゃれも楽しめる)、
そでにはヒモが通してあり(ヒモを引っ張れば、そでをしぼることができる)、
動きやすく、スポーティーな衣です
↓次の写真は、みんな狩衣を着用しています(私もマイ狩衣を着てどこかにいます…笑)

直衣と狩衣は、色もガラも好きなもの自由に着られるので、集まるとこんな風にカラフルです(笑)
ちなみに、フィギュアスケートの羽生弓弦選手が、ピョンチャンオリンピックで金メダルをとりましたが、
フリーの衣装の肩とそでの部分を見てみてください、狩衣をモデルにしていることが分かりますよ!
● 貴族の女性
・女房装束(にょうぼうしょうぞく)
…正装、いわゆる十二単(じゅうにひとえ)
色の組み合わせなどを考えながら、たくさんの着物を重ね着します(12枚とは限りません)
よって、すごく重くて、だいたい20kgほどになったとか…動けませんね…
↓写真で見ると、こんな感じです

色合いがとても美しいですね…それにしても、重たそうです…
・小袿(こうちぎ)に袴(はかま)
…普段着(準正装)
袴をつけて、着物を重ね着した上に着る、ちょっと小さいサイズの上着が小袿
ついでに、庶民の服装も簡単に見ておきましょう。
庶民の男子は、水干(すいかん)・直垂(ひたたれ)、
庶民の女子は、小袖(こそで)などを着用したようです。
②食
比較的簡素で、1日2食が基準です。
調理方法は焼く・蒸す・煮るくらいしかなく、油は使用しません(揚げ物が存在しないのですよ…淋しい…)。
また、仏教の影響から、動物の殺生がよろしくないとされ、獣肉は基本的には食さなかったようです。
4本足ではない鳥とか魚はオッケーだったそうです。
③住
寝殿造(しんでんづくり)という建築様式を用いた大邸宅に居住します。
↓復元模型で見ると、こんな感じです。

①の寝殿(しんでん)という建物を中心に、
東西に対屋(たいのや)という建物が設けられ(④東対(ひがしのたい)など)、
それらが⑦渡殿(わたどの)という廊下でつながっています。
対屋からのびる⑧透廊(すきろう)の先には、⑨釣殿(つりどの)がつくられ、
南側につくられた池を臨むことができる、というわけです。
いやぁ~、プール付きのとんでもない豪邸ですよ、これ!
まぁプールといっても泳ぐわけではありません、船を浮かべたりして遊ぶのです。
優雅ですな~…
寝殿造では、皮をはいで削っただけで、塗料などを塗っていない木を柱として用います。
これを白木造(しらきづくり)といいます。
また、床は板床(いたゆか)と呼ばれるフローリングなので、
畳や円座(わろうだ、または、えんざ)と呼ばれる座布団みたいなものを敷いて座ります。
また、それぞれの部屋はかなり広いなので、空間を区切ったり、目隠しをするために、
襖(ふすま、障子の1種)や屛風(びょうぶ)を部屋の仕切りとして使用したようです。
いやぁ~、ほんとゴージャスな家ですよね…
冬はめっちゃ寒そうですけどね……(笑)
ちなみに、貴族の多くは平安京の左京に居住します。
なぜ右京ではないのかは、794年のゴロ合わせで復習してくださいね。
④その他
●成人式
男女ども、だいたい10~15歳で成年式を受けます
・男子:元服(げんぷく)
…長く伸ばした髪でマゲを結い、冠をつけます
以降、官職をもらって朝廷につかえることになります
・女子:裳着(もぎ)
…女房装束に裳(も)というパーツをつけます
↓写真で見ると、裳はこんな感じです

とてもとても長くなってしまいました…すいません(汗)
最後に解答を載せておきましょう。

次回は国風文化の2回目、宗教・美術、そして貴族の生活Ⅱをまとめていきます。

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画像出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9D%A1%E9%99%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%89%E6%9D%A1%E6%AE%BF
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愛媛県松山市に天下に名高い道後温泉本館があります。
その東浴室中央の円筒のモニュメント左側に山部赤人が道後温泉を目の前に詠った長歌が日下部等伯下書きで彫られています。
仮名文字の無い万葉仮名を実際に見るのも珍しく、下書きをした日下部等伯は明治の三筆と言われ、それは美しい書です。
この春之助さんのブログを見て、平仮名の無かった時代を知る貴重な資産をご覧下さい。
これは道後温泉本館を創建した伊佐爾波幸弥さんが湯に浸かりに来てくれた人への心尽くしです。
道後温泉へお越しの折はこういうものもあると知ってお出でて下さい。
by mizu51 (2018-07-21 14:35)
mizu51様
貴重なご意見、ありがとうございます。
先日、道後温泉本館に行って参りました!
保存修理工事中で、神の湯しか利用できない状況でした。
神の湯西浴室が女湯になっていて、日下部等伯さんの書を見ることはかないませんでしたが、西浴室の円筒のモニュメントにも「知波彌布留(ちはやぶる)…」の万葉仮名を見ることができました。
お教え頂いていないと、ついつい見逃してしまうところでした!
ありがとうございました。
by 春之助 (2020-08-24 21:40)