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663年 白村江の戦いで敗北する [年号のゴロ合わせ]

朝鮮半島で、日本と仲良しだった国はどこか覚えていますか?



そう、百済ですよね。

660年、その百済が唐と新羅の連合軍に攻められ、滅亡してしまいました。
そこで、ヤマト政権は百済の復興を支援するため援軍の派遣を決定します。
このときの天皇は、斉明(さいめい)天皇です。
孝徳天皇の死後、皇極天皇が重祚(ちょうそ)しています。
これが日本史史上初めての重祚例です。

斉明天皇は、援軍の派遣に備えて九州の朝倉宮(あさくらのみや)に移動しますが、
ほどなくしてこの世を去ってしまいます…

どうも、この斉明天皇には色々と変な噂がついてまわるんですよね。

斉明天皇が飛鳥にいたころのこと。
青い笠をかぶった中国人のような者が、龍に乗ってぷかぷかと空を飛んでいました。
その後、「彼」は葛城山のあたりから生駒山のあたりへと移動し、西の方に消えていった、
という不思議な記事が『日本書紀』には書かれています。

また、朝倉宮では鬼火(おにび)を目撃する者がいたり、病死者が多発したり、
最終的には斉明天皇もこの世を去ってしまいます。

彼女の葬儀は朝倉宮でおこなわれたのですが、その際、再び笠をかぶった「彼」が現れます。
「彼」は斉明天皇の葬儀の様子をじっと見ていたそうです。

果たして、この「彼」とは一体誰なのでしょう…

実は、当時から「あれは蘇我入鹿の怨霊(おんりょう)ではないか」という噂があったというのです。

怨霊とは、たとえば怨(うら)みや憎しみをもった人や、非業(ひごう)の死を遂げた人の霊のことです。
生きている者に祟(たた)りをなす怖い怖い存在です。
ではなぜ、当時の人々のなかで「彼」は蘇我入鹿の怨霊だという噂がたったのでしょう…

それはつまり、「蘇我入鹿…いい人だったのにあんな風に死んでかわいそう!」って感じる人がいたということです。

みなさんの中で、蘇我入鹿ってめっちゃ悪いヤツってイメージないですか?
それは『日本書紀』にそう書いてあるからです。

『日本書紀』は藤原不比等によって手を加えられたという説があります。
藤原不比等は中臣鎌足の息子です。
父がおこなったことを正当化するためには、蘇我蝦夷と入鹿は悪者である必要性があるのです。

つまり、もしかしたら…

663.jpg

という可能性だってありえるわけです。

歴史は決して片方から評価してはいけません。
たとえば織田信長はかっこいいけど、明智光秀からしたらめっちゃ悪いヤツだったわけです。
坂本龍馬もかっこいいけど、江戸幕府の役人からしたらめっちゃ悪いヤツだったわけです。

歴史は勝者によって語られます。
でも、勝者が記した歴史が正しいとは限りません。
でもでも、敗者はたいてい滅ぼされるので、勝者の記す歴史に文句は言えないのです。

いつも勝者のかげに隠れている敗者の目線というものを忘れないで下さい。
敗者の目線で教科書を見ると、歴史の見方は180度だって変わります。
そう考えるだけで、歴史っておもしろくなるでしょう?
「コイツ、めっちゃ悪いヤツだと思ってたけど、実はいいヤツだったのかも…」
「この人、めっちゃかっこいいと思ってたけど、性格最悪だったのかも…」なんて見方をしてみてください。
人の数だけ歴史は存在するし、その数だけ見方があるのです。

さて、話を元に戻しましょう。

斉明天皇が亡くなった結果、息子の中大兄皇子が皇太子のまま天皇にかわって政治をおこないます。
即位式を挙げずに政治を執ることを何と言ったか覚えていますか?

称制(しょうせい)ですね。

中大兄皇子の称制中に、日本は朝鮮半島で唐と新羅の連合軍と戦いました。
663年に起こった、白村江(はくそんこう、はくすきのえ)の戦いです。

結果はボロ負けです。

百済の復興は達成されず、日本は朝鮮半島の足場を失います。
さらに、この勢いで唐と新羅の連合軍が日本に攻めてくる可能性だって否定できません。

そこで中大兄皇子は痛々しいほど国防の強化に乗り出します。

大宰府の北側に約1kmにわたる水城(みずき)をつくります。
また、百済から亡命してきた人たちに教わって、九州北部から瀬戸内海周辺に朝鮮式山城を築きます。
対馬・壱岐などには防人(さきもり)という兵士を置き、烽(とぶひ)というノロシをあげる設備もつくります。
さらに、都も近江大津宮に遷します。
なぜここに都を遷したのかというと、琵琶湖に面していて、なおかつ近くに大きな道路が走っているので、
もしものときは水上交通・陸上交通どちらを使っても逃げやすいということです。

それにしても、いっそがしいですねー。
我々は、唐も新羅も攻めてこないことを知ってるので、中大兄皇子のテンパりように失笑してしまいますが、
当時としたら本当に攻めてくるかもしれないって思ってるわけですからね。
そら必死になるよね…って笑わずに同情してあげましょう。

ようやく中大兄皇子はここで落ち着いて即位し、天智天皇となるわけです。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

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次回は天智天皇の死後におこった大事件を取りあげます。
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